ジョジョの奇妙な冒険5部に登場したブチャラティチームは、メンバーの約半数が死亡しています。
今回は死亡したキャラクターの運命や死亡フラグについて、キリスト教との関係を中心にプロフィールから読み解いてみました。
1. ブチャラティ、ナランチャの死亡フラグは食べ物!?
まずは食べ物について見ていきます。注目したいのはブチャラティの嫌いな「リンゴ」と、ナランチャの好きな「オレンジジュース」です。これらに関連しそうなのが、キリスト教で登場する「知恵の実」。エデンの園にある実で、神に「死ぬから食べちゃダメよ!」と忠告されていたものの、蛇にそそのかされたアダムとイヴが口にしてしまいます。これにより人間は善悪の知識を得た半面、神に背いたという「原罪」を負うことになりました。
この「知恵の実」の正体としてよく挙げられるのがリンゴですが、聖書上に確定的な情報はなく、イチジク、オレンジ、バナナといった説もあります。ブチャラティとナランチャのプロフィールと関連のある果物ですが、ここからナランチャの死亡は「知恵の実のオレンジからつくられたジュースを好き好んで食すことは、神に背くことだから」なんて読み取りができるのではないでしょうか。ナランチャは名前もイタリア語でオレンジを表す「arance(アランチャ)」に由来しているっぽいしな…
またオレンジはキリストが流した血を象徴し、受難を表す果物でもあります。受難とはキリストが磔刑に架けられる苦難のことですが、ここでナランチャの最期を見てみると…
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社(102-103頁)
両手を広げて足を交差していましたが、これキリストの磔刑のポーズにそっくりでは…!?このようにキリスト教の観点から考えると、ナランチャはオレンジに関係する名前、好物が与えられた時点で、死亡が確定していたのかもしれません。

ブチャラティゾンビ化の謎
じゃあリンゴを嫌いなブチャラティは、神に禁じられた果物を食べない=生きているはずでは?と言いたくなりますが、イタリアにはブチャラティの名前によく似た「ブッチェラート」というお菓子があります。これね。
Di Dedda71 - Opera propria, CC BY-SA 3.0, Collegamento
美味しそうですね~~~~!ドライフルーツやナッツを入れたどっしりとしたケーキで、乾燥イチジクも使われるのだとか。つまりブチャラティは「知恵の実」に関して、イチジクと縁のある名前を持つ一方、リンゴは嫌いという正反対の性質を持つ人物だったといえます。
そんなどっちつかずの状態が、ブチャラティのゾンビ化だったりしてね。生きているような死んでいるようなあの状態は、「知恵の実」に由来していたのかもしれません。ちなみに「知恵の実」はバナナという説もありましたが、バナナはポルポが食べようとして死亡していましたね…これは本当に偶然なのか、荒木先生の凝った設定だったのか…

アバッキオの名前の由来「仔羊」
アバッキオはイタリア語で「仔羊」の意味。聖書では、仔羊や羊は比喩や生け贄の犠牲などとしてたびたび登場します。「創世記」では良き捧げものとして記されたりとかね。
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
新共同訳(1997年)『聖書』「創世記」日本聖書協会
生け贄とは素晴らしい結果を得るために、何かを犠牲にすること。ボスからの一撃を食らい死亡するも、デスマスクを残すという功績を残したアバッキオの姿と重なりますね~…
またキリストは「神の子羊」という言葉のように、人間の罪を償うために生け贄となる様子が表される一方、「よい羊飼い」としてたとえられることもあります。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
新共同訳(1997年)『聖書』「ヨハネによる福音書」日本聖書協会
5部ではジョルノがキリストのオマージュのように描かれていますが、チームのブレインとしてブチャラティらを引っ張ったジョルノとアバッキオの関係は、羊と飼い主のようと言えるのかもしれません。だいぶ圧の強い羊だったけど。
ちなみにアバッキオの好きなワインは、キリスト教ではキリストが葡萄酒を「わたしの血」として弟子たちに与えたシーンで有名です。葡萄酒を飲むことは新約(キリストを通して神と人間が結ばれた契約のこと。神を信じてキリストの教えに従えば救済が得られるとされる)を受け入れることを表すので、アバッキオがジョルノを認めるという比喩的な表現でもあるのかもしれません。なお弟子はアバ茶を飲ませてくる模様。これは試練だ…

アバッキオの好きなアイルトン・セナとキリスト教との関係
アバッキオでもうひとつ気になるのが、ヒーローであるF1ドライバーのアイルトン・セナ。イタリアグランプリの事故で他界した彼は、熱心なカトリック信者として知られていました。キリスト教では神を信じることで救済されますが、それは神の息子キリストのオマージュであろうジョルノについていき、同僚に認められながら安らかな顔で旅立ったアバッキオに通じるところでもあります。
そんなセナがアバッキオのプロフィールに登場するのは、誰もが憧れるカリスマ性を持ったドライバーであること、そして信仰という点で関係しているのかもしれません。いやでも本当超かっこいいですよね、セナって。アバッキオが好むのもめちゃわかる…!

ミスタの神への信仰は生存フラグ!?
今度は生き残ったメンバーに生存フラグはあったのか、考察してみます。まずはミスタのプロフィールを見てみると「神を根本的に信じている」とのこと。信心深いですね~~~~!キリスト教では神を信じることは救済されることに繋がるので、ミスタが生き残ったのは理に適っていると言えます。
そしてミスタといえば超~~~苦手な4も気になるところ。ただキリスト教では新約聖書の福音書が4つであること、地上の楽園には4つの川があるなど、十字架は4つの腕を持つことから普遍性や救済を意味することなどの理由で、特に縁起の悪い数字ではないようです。
ところでナランチャの死亡シーンでは、ミスタが床に落ちた銃弾が4発と気づいて大騒ぎしていました。こちらの元ネタはキリスト教関係というより、ナランチャの好きな2パックが4発の銃弾を受けて死亡しているところじゃないかな~…宗教上で忌み嫌われる数字ではなくとも、ミスタの中で4は本当にアウトなのね…

死亡フラグが立たないジョルノ
ジョルノの生存はね~~~~色々な考え方ができそうですよね~~~~!まずモデルであろうキリストは磔刑に処されるも後に復活。40日間弟子らと過ごした後、昇天して神の右座についています。この復活後の流れは、ジョルノがブチャラティチームと過ごした後にパッショーネのボスとなったことを想起させるのではないでしょうか。
一方で生命を生み出すゴールド・エクスペリエンスの能力は、キリスト教における創造主の神に似ているところ。神は不死とされているので、ジョルノは最初から生き残る運命だったのかもしれません。
「神」、「神の子キリスト」というどちらの点から考えても、生存フラグが立っていたと考えて間違いなさそうなジョルノ。そもそも主人公だしね。世界が一巡しかけない限り、そう簡単には死なないよな~~~~!

フーゴが裏切った場合の運命
最後にフーゴが裏切った場合の運命についてです。荒木先生曰く、当初フーゴはブチャラティチームを裏切る予定だったとのこと。キリストがモデルのジョルノ率いるチームへの裏切りは、キリスト教における弟子ユダの裏切りを思い出すところです。
原作ではボートに乗らないシーンで離脱となりましたが、ユダはキリストと弟子たちがともに食事をする「最後の晩餐」でキリストのもとを離れています。ということはフーゴは食事のシーンが描かれた「ガッツのG」で裏切る予定だったのかもしれないよね。食事の前にイナクナッタ・フーゴね(全然うまくない)
結局フーゴの裏切りはあまりに暗い展開になりそうなのでお蔵入りになったとのことですが、ユダは裏切り行為を悔いた末に自殺してしまいます。フーゴも退場していなければ、自ら死を選ぶ予定だったのでは?という気がするところですよね…つまりイキノコッタ・フーゴなのね(やかましい)

まとめ:ブチャラティチームのプロフィールからは死亡フラグを読み取ることができるかも!?
ブチャラティチームの死亡フラグをプロフィールから読み解いてみました。なんかところどころ無理矢理感がすごくてごめんなさいね。いや、本当ごめんなさい…
ただキリスト教との関係が強いこと、荒木先生はキャラクタープロフィールをかなり練り上げて作成することなどから、彼らの運命が暗示された部分もやはりあるのではないかな~という気がします。このあたりの事情は荒木先生にお聞きしてみたいですよね~!
ジョジョとキリスト教の話あれこれ



参考文献
エリカ・ジャニク(2015年)『リンゴの歴史 』原書房
ナタリー・レイチェル・モリス(2020年)『豆の歴史』原書房
ブライアン・ヤーヴィン(2019年)『ラム肉の歴史』原書房
ミシェル・フイエ長本和子(2006年)『キリスト教シンボル事典』白水社