ジョジョの奇妙な冒険3部に登場した花京院典明。最期を迎える直前に両親について「深く思っていた」と描かれていました。
今回は花京院が両親に対してどのように「深く思っていた」のか、親子関係について考察してみました。
1. 花京院が両親を「深く思ってはいた」の意味
まずは花京院が最期を迎える直前の、両親を「深く思ってはいた」の意味についてです。全文はこんな感じね。
今…カイロは5時15分か…日本は時差があるから夜の12時頃か…父さんと母さんは何をしているのだろう…もうねむっているのだろうか?心配かけてすみません
花京院典明が最後に思うこと…それは日本にいる両親の事ではなかった
両親のことを深く思ってはいたが最後に浮かんだ「奇妙な疑問」の前に両親たちへの思いは頭から吹っ飛んだ
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(151頁)
最期を悟り、両親に謝罪する花京院。一緒にエジプト旅行できるくらいの仲なんだもんね~!最後は仲間のことを思ったとはいえ、いい息子さんじゃないですか…!
…と言いたいところですが、花京院にしてみれば一緒に旅行しようが、両親とはどこか距離を感じていたんじゃないかな~という気がします。それが伺えるのが花京院が過去について独白するシーンです。
子供の時から思っていた。町に住んでいるとそれはたくさんの人と出会う。しかし 普通の人たちは一生で真に気持ちがかよい合う人がいったい何人いるのだろうか…?(中略)母には父がいる。父には母がいる。自分はちがう。TVに出ている人とかロックスターはきっと何万人といるんだろうな。自分はちがう。
「自分にはきっと一生誰ひとりとしてあらわれないだろう。」
「なぜなら この『法皇の緑』が見える友だちは誰もいないのだから…見えない人間と真に気持ちがかようはずがない。」荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(128頁)
父には母、母には父がいるけれど自分には誰もいないとのこと。旅行できるほどの家族でも「両親にはぼく」「ぼくには両親」とはならないんだよな~…なんせ母親が担任との面談で人と打ち解けない理由を聞かれた時に、「何が原因なのか私にもようわからん」と答えたのを知っているんだもんね~後述しますが、色々感じるところはあっただろうな…
そして「『法皇の緑』を見えない人間と真に気持ちがかようはずがない」と考えているところからは、両親がスタンドを見えないだけではなく、受け入れなかったこと、それが親子関係に影響を及ぼしたことも想像できます。生まれつきのスタンド使いが真っ先にスタンドのことを話すのは、両親だろうからな…最も身近な人間で、唯一無二の存在である両親の理解を得られなかったことが、家族にさえ心を閉ざす一因だったんじゃないかな~…そりゃ~「ぼくには両親」とはならんよね…
とすれば「深く思ってはいた」理由は、まず物理的な面が大きいのではないでしょうか。旅行にも行き、ゲームもやり飽きるほどできる家庭環境のように恵まれていたことに対する感謝はありそうです。
一方で心を開かない息子でも、愛情をかけていたことも含まれそうなところ。察しのいい花京院なので、両親に「ぼくみたいな息子の育児、面倒くさいだろうな~」くらいには思っていたかもしれないよね。それでも放任せず、辛抱強く見守りながらナイスガイに育て上げてくれたことへの感謝もあるのではないでしょうか。なんだかんだで両親を愛してはいたんだろうな~!

面談での母親の言葉を聞いた花京院の心情
ここで担任と母親の面談時に「何が原因なのか私にもようわからん」の言葉を聞いた花京院は何を感じていたのか、あらためて考えてみます。このシーンね。
小学校教師『花京院さん お宅の典明くんは友だちをまったくつくろうとしません。そう 嫌われているというよりまったく人とうちとけないのです。担任教師としてとても心配です。』
母『それが…恥ずかしいことですが…親である…わたしにも…なにが原因なのか…』荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(127頁)
何度見ても心が締めつけられるよな~…でもお母さんも大変だったんだろうな…
まず考えられるのは、ネガティブな気持ちね。親にも心を開かなかったとはいえ、こんな言葉を聞いたのなら、「やっぱり自分は親とは距離があるんだ」とあらためて自覚してしまうはず。自分で決めた生き方とはいえ、どこか寂しい気持ちになったんじゃないかな~…「恥ずかしいことですが」という言葉を親に言わせてしまった、という点では罪悪感も感じていたのかもしれません。
また「恥ずかしながら親にもわからない」というのは、両親なりにわかってあげたいけれどできない、というニュアンスにも聞こえるところ。息子への理解と交流を諦めていない姿勢を感じたとすれば、気にかけてもらっているんだなァ…なんて思った可能性もあります。でも優しい花京院なので、それでも心を開かないことへの罪悪感の方が大きいような気はするよね。
孤独だった過去を振り返るシーンでの言葉なので、両親サンキュー!というだけの気持ちではなかったはず。あの言葉を聞いた花京院は両親の愛情を理解しつつも、寂しさ、申し訳なさなどの感情を抱いていたのではないでしょうか。
そして友人の母を大絶賛する花京院

2. 花京院は両親にどのような思いを抱いていたのか
花京院の両親に対する思いをもう少し考えてみます。さて承太郎たちとの出会いで他人に心を開き、絆を深める経験をした花京院。でもこれで小さな時から抱えていた傷や孤独がすべて癒えたか、と言われるとそうはならんよな~!
特に両親に理解、共感してもらうこと、そこから得られる安心感や自己肯定感など、やっぱり両親でしか解決できないことがあるはずです。愛に飢えた徐倫がロメオなどの他人と交流しつつも、心の奥底でず~~~っと承太郎を求め続けたように、両親からしか得られない愛情があるんだよね~…
また「深く思ってはいた」とはいえ、他人に心を許さなかった彼の狭い世界において、近しい人間は両親くらいしかいなかったのもまた事実。大切に思う対象自体があまりに少なかったんだよな~…とはいえ徐倫のように寂しさが自傷的な行動として現れていたわけではないので、花京院が求める愛情としてパーフェクトではなくとも、愛されている自覚はありそうだよね。そんなところも「深く思ってはいた」という言葉に繋がっていたのではないでしょうか。まあ家出同然で旅に出てたけど。んも~~~~3部は不良だらけなんだから~~~~!!!!
花京院の魂をかける気高い不良の話

花京院は旅の途中で両親に連絡をしたのか?
でもさでもさ、家出同然で旅に出たとしても両親を「深く思ってはいた」のなら、旅の途中で電話のひとつもしたのでは?と気になるところ。原作では明言されていませんでしたが、両親との連絡について考えてみます。
これね~~~~多分してなかったんじゃないかな~~~~!両親としては行方不明の息子からの連絡なんて嬉しいに決まっているし、花京院もそれはわかっていたのだと思います。特に電話で声を聞けたのなら、それはそれは安心するはずです。
でもね~状況説明が難解すぎるよね。「友人の母を救うためにスタンド使いと共に旅をしている」なんて、非スタンド使いにしてみれば、サンドウィッチマンくらいちょっと何言ってるか分からない状態だもんね。花京院としても連絡したところで、やっぱり理解されないかァ…という寂しさを感じるくらいなら、しない方がいいのでは?と考えていた気もします。特にホリィのように息子への理解が深すぎる母親像を見た後なら、なおさらね。
しかも連絡をしたらしたでますます心配させる可能性も考えられます。両親としては「理由はどうあれ今すぐ帰ってこい!」と言いたいところですが、花京院は旅を終えるつもりはないわけで。結局、両親を不安にさせることになるんだよね~…であれば、しない方がマシという選択自体も両親への優しさなのかもしれません。
あとは花京院のストイックな性格的に「今は戦いに集中したい」「旅が終わってからでいい」なんて言いそうな気もするよね。いずれにせよ連絡した姿の方が想像しにくいのではないでしょうか。

3. 花京院が最後に両親より仲間のことを思った理由
最後に花京院がラストシーンで両親よりも仲間のことを思い続けた理由についてです。絆があるから、同じ目的を持つ大事な仲間だからというのはもちろんですが、今回はスタンドという観点から考えてみます。
さて本体の精神を具現化したスタンドは、攻撃方法はもちろん、見た目にも本体の性格がよく表れていました。冷静なようで激熱な承太郎やアヴドゥルはふんどし一丁に燃える鳥人だし、チャラそうで騎士道精神にあふれるポルナレフはそのまんま騎士とかね。
花京院のハイエロファントグリーンは戦隊モノルック。つまり単独で戦うより、チームプレーを好む素質があったことが伺えます。しかも主役級の赤ではなく緑という色からは、華やかで中心的な立ち回りよりも、頭脳を生かしたり、補佐に向く性格が具現化されているはずです。
もしジョースター御一行を戦隊モノに例えるならば、赤に当たるのは間違いなく承太郎。緑の素質を持った花京院としては、チームの一員となり、承太郎を補佐しながら戦えることがとても嬉しかったんじゃないかな~!
ということで両親よりも仲間を思えたのは、仲間の絆や打倒DIOという目的はもちろん、潜在的に望んでいた「緑レンジャー」の立場となれた喜び、そしてひとりの隊員として役に立ちたい気持ちもあったからではないでしょうか。承太郎のような天才肌ではないのにスタンドをあれだけ使いこなせたのは、チームの役に立つ日を夢見て練習していたからだったりして…!

まとめ:花京院は両親を大事には思ってはいるがその中身は複雑なのでは
花京院と両親との関係について考察してみました。
ただ両親が大好き!大切!なんて単純な話ではなさそうな花京院の親子関係。スタンドが見える者、見えない者を阻む壁が生んだ孤独と悲しみ、それでも尽きることのなかった愛情が伺えますよね~…本当はお互いにもっと歩み寄りたかったんだろうな~…
最後に仲間を思えたこととスタンドが大きく関連しそうなのも面白いところ。孤高を貫きながらも、本当は誰かと一緒にいたかったという気持ちが垣間見えるのではないでしょうか。そこがまた切ないんだよな~!
みんな大好き花京院の話いろいろ


