【レビュー】「OVER HEAVEN」のDIOの心情を考察してみた

ジョジョコラム

ジョジョの奇妙な冒険のスピンオフ作品「OVER HEAVEN」。3部、6部DIOの手記として描かれた小説です。

原作には見られなかった独自解釈が含まれており、特に3部のDIOの心情について詳細な記載があったこの作品。今回は「OVER HEAVEN」の内容から、DIOの心情についての考察とレビューをしてみました。

※一部6部のネタバレを含みます!


1. DIOの母親に対する心情

まずは「OVER HEAVEN」で描かれた、DIOの母親に対する心情について考えてみます。

原作では父親を憎む描写はあったものの、母親に対する心情があまり描かれなかったDIO。しかしこの作品では、DIOの母親への気持ちが何度も吐露されています。それも「愚か」という言葉を使って。

「愚か」と思っていたのは、DIOの母親が気高さや誇り高さを大切にしていたからでした。自分の生活を顧みず、貧しき人に食べ物を差し伸べていたほどの人物だったそうですが、それより息子を腹いっぱい食わせてくれ…という思いを抱えていたそうです。しかし母親は「正しき行いをすれば天国に行ける」と、最後までその生き方を貫きました。

そんな母親に対して、作中ではDIOが「愛している」というようなポジティブで直接的な記述はありません。では一体どのような気持ちを持っていたのでしょうか。

DIOは母親を本当に「愚か」と思っていたのか

母親を「愚か」と表現したDIOですが、ここでは本当に「愚か」と思っていたのか、検証してみます。作中は何度も「愚か」と書き残しており、文字通り本当に「愚か」と思っていたのかもしれません。

でも同時に別の気持ちも持っているようにも見えるのです。例えばDIOは、天国を目指すことについて「母の代わりに天国を目指すのではない」と明言しています。しかし母のための思って、天国を目指していた可能性が示唆される描写もありました。

どんな者でも。
悪人であろうと―――愚かであろうと。
天国に行ける方法を、確立しなければならないのだ。
それこそが、人間を超えたわたしの―――『世界』を背負ったわたしの責務であり。
わたしの『目的』なのだ。

西尾維新(2011年)『OVER HEAVEN』集英社(215頁)

文脈的に「悪人」はンドゥールのような人間を指しているのですが、ここでの「愚か」は恐らく母親のこと。つまり本作のDIOは、自分だけのために天国を目指している訳ではなさそうです。

あのDIOが他人のために天国…?と衝撃的なシーンなのですが、荒れた街で酒浸りの父と暮らした母親に、せめて願っていた天国を見せたいという気持ちがあったのかもしれません。作中では母親は天国に行けたのだろうか…と何度も考えていたし…

また天国に行く方法として6部で登場した「14の言葉」についても、気になる記述がありました。

忘れる心配など、ほとんど皆無である。だからこその合言葉だ。言葉自体にさしたる意味はない。母が幼い私を寝かしつけるために口ずさんでいた、ただの子守歌の歌詞なのだから。
あるいはうわ言のような、天国へ行くための子守歌。
それは同時に鎮魂歌でもある。

西尾維新(2011年)『OVER HEAVEN』集英社(59頁)

「螺旋階段」「カブトムシ」でおねんねしていたDIO様。やっぱりスケールが違いますわ…

注目したいのが最後の「鎮魂歌」の部分ですが、これもやっぱり母親に対するものかな~という気がします。子守歌だった14の言葉を自分が使って、母親を天国に送り、鎮魂とする…ということなのかもしれません。

このように考えると、母親を「愚か」と書き記していたものの、DIOは決して愛していなかった訳ではなさそうです。むしろ他人のためを思って天国行きを模索していそうなところは、恵まれない人生だった母親に少しでも幸せになって欲しいという気持ちがあったからではないでしょうか。

2. DIOが見せなかった不安

次にDIOの不安について見ていきます。モンキーなんだよ!とか最高にハイ!とか、俺様気質が目立っていたDIO。でも「OVER HEAVEN」では、表には出していなかったDIOの心模様が描かれており、不安が感じ取れるところもありました。

ということで、ここではDIOの不安について考察してみます。

DIOにとっての「奪う者」「与える者」「受け継ぐ者」

まずDIOにとっての「奪う者」「与える者」「受け継ぐ者」についてです。作中に何度も登場するこの表現。DIOは、ジョージ・ジョースターや母親のような悪人にも手を差し伸べるような人間を「与える者」、ジョナサンのようにジョースター家の名声や誇り、波紋法などを継ぐ者を「受け継ぐ者」、そしてダリオや自身のようにそれを奪おうとする人間を「奪う者」としています。

DIOは「与える者」にも「受け継ぐ者」にも絶対になりたくなかったのだそうです。むしろ今も昔も「奪う者」として、気高く生きたいのだとか。

そしてジョナサンに対しては「受け継ぐ者」だから憎いと吐露しています。人から受け取るばかりなんて、スラム街生まれのDIOにすれば恵まれた人生に見えるんでしょうね…

しかしDIOはジョナサンに勝ち切れなかった訳で…そんな経験からか「奪う者」は「受け継ぐ者」にいつも道を塞がれると思っていた節も伺えます。ンドゥール戦後の日記には、こんなことが書かれていました。

わたしは今、ジョナサンを相手にしているわけではない。相手にしているのはあくまでも、ジョナサンの子孫というだけだ。
ジョナサンから『受け継いだ』者達というだけのことで、ジョナサン本人ではない。何を恐れることがある―――不安も恐怖もないはずだ。
ただ仮に……、仮にだが、もしもこの後、わたしが彼らに『敗北』するのだとすれば―――それを『予感』などという曖昧な形ではなく、『確信』という形で知っておきたいものだ。
そうすれば『覚悟』が決まる。

西尾維新(2011年)『OVER HEAVEN』集英社(182頁)

あのDIOが「仮に敗北するなら~」というなんて…めちゃくちゃ不安がってるじゃん…

ジョナサンの精神性を「受け継ぐ」承太郎やジョセフに、「不安も恐怖もないはず」と言いつつもどこか自信がなさそうです。しかも「ジョナサンを相手にしているわけではない」という書き方からは、もしジョナサンが相手なら不安と恐怖があるとも受け取れるし…

もしかしたらDIOは心のどこかで、「受け継ぐ者」は「奪う者」に勝てないと思っていたんじゃないかな…と思います。それは「受け継ぐ者」だったジョナサンが、憎いと同時に唯一尊敬してしまうほどの強さを持った人物だったからなのかもしれません。

ところで6部では、DIOは天国へ行く方法を「与える者」となり、プッチは「受け継ぐ者」でした。そのプッチがジョースター家の敵だった訳ですが、そこに立ちはだかったのが「受け継ぐ者」だったエンポリオという…血筋の物語でもあるジョジョでは、やっぱり「受け継ぐ者」が強いんだよな…

DIOとポルナレフの再会シーンについて

次に3部でDIOとポルナレフが再会するシーンについて見ていきます。作中では承太郎たちがDIOの館に近づくにつれ、不安な気持ちを吐露していたDIO様。手下がやられていく中で、数で勝てなくなってきたから…という理由で、ポルナレフの勧誘に乗り出すことに。原作のこのシーンのことです。

荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(31頁)

こんな上から目線な勧誘ある????ほぼ脅しの件について。

勧誘だったんかい!と驚愕間違いなしのこのシーン。そしてポルナレフには見事にフラれてしまう訳ですが、その時のDIO様のお気持ちがこちら。

駄目だった。
にべにもなく断られた―――何が不満だというのか、正直言って、このディオは想像もつかない。

西尾維新(2011年)『OVER HEAVEN』集英社(291頁)

めちゃくちゃショック受けてる…

まあそうだよね~…あのプライドの高いDIOが、元部下に戻ってきて~とか言い出すなんて相当な事態のはず。それを断られちゃ、プライドは傷つくわ、味方の数は増えずにピンチだわ…そりゃ~ショックだよね…ど、どんまい…

そして「何が不満だというのか~」のくだりから、DIO的には本気で勧誘しており、戻って来てくれるとも思っていたように聞こえます。でもそうはならなかったのは、「奪う者」には、ジョースター御一行のような「受け継ぐ者」たちの気持ちは分からないということなのかもしれません。

このように考えると、3部の最終決戦では自信満々に登場したDIOも、心のどこかで「もしかしたら負けるかも…」という予感を抱いていたとも言えそうです。それは味方が減ったことに加えて、「受け継ぐ者」たちが攻めてきたからこそなのではないでしょうか。

3.「OVER HEAVEN」をざっくりレビュー

最後に少しだけ「OVER HEAVEN」をレビューしてみます。ここまで挙げられていない、印象的だったシーンをざっくり箇条書きしてみました。

※以下、超ネタバレありです!

 

 

 

 

・扉絵DIOがバンドマンのような装いでお洒落
・時々心が乱れて筆も乱れるDIO
・「36人の罪人の魂」の「36」の意味判明
・DIOとプッチの天国像が同じ(!)
・ボインゴに説得されるDIO
・DIO様のヌケサク愛
・落ち着くために素数を数え始めるDIO様(なお効果はイマイチの模様)
・エリナ、自らDIOと棺桶に入っていた(その後の展開がまたびっくり…)

 

などなど…
原作を掘り下げた部分もあれば、原作とは違う解釈もあったり…この辺のオリジナリティは「OVER HEAVEN」ならではなのかもしれません。

あと個人的に気に入っているのが挿絵なのですが、なんかゆる~~~~いんですよね…クリームなんかめちゃくちゃゆるい。

西尾維新(2011年)『OVER HEAVEN』集英社(271頁)

ちょっと可愛くないですか…?こんなポケモンいそう。

表紙もかなり凝っているので、その辺りの美しさも楽しめる本ではないかな~と思います。

まとめ:「OVER HEAVEN」のDIOは意外と繊細で人間らしかった

「OVER HEAVEN」について考察してみました。

原作ではハイテンションに見えるDIOですが、「OVER HEAVEN」ではその裏の心情が掘り下げられており、ショックを受けたり不安がったりと、意外な部分が浮き彫りにされていました。作中ではDIOも「天国に行きたがるのが人間なら自分も人間なのか…?」なんて言っていましたが、たとえスピードワゴンに生まれながらの悪と称されても、吸血鬼になっても、やっぱり人間らしい感情は持ち合わせていたのだと思います。

原作とは違う解釈の部分も多い作品ですが、悪のカリスマのDIO様もこんなことを思っていたのかもな~…と人間くささを垣間見ることの出来る作品です。ご興味のある方はぜひ…!

 

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