ジョジョの奇妙な冒険6部に登場したエンポリオ。プッチを倒し、新たな世界に行き着いた人物でした。
そんなエンポリオは、アイリンたちに出会うと「ぼくの名前はエンポリオです」と言いながら涙します。今回はこの台詞に込められた意味や感情について考察してみました。
※6部のネタバレがあります!
1. エンポリオの驚きと悲しみ
まずはエンポリオの驚きと悲しみが含まれた台詞という点について、考察してみます。注目したいのはアイリンたちに名乗られ、違う人間と気づいたところの顔です。見てこれ…
荒木飛呂彦(2003年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』17巻 集英社(257頁)
リキテンスタインの画風やん。君が部屋に飾っていたやつだぞ!
それはさておきこの顔から読み取れるのは、エンポリオの驚きの感情です。それは徐倫たちと似て非なる人だったショックや、違う人ではあれど、まさかもう一度会えるとは思わなかったという驚愕、なんて感情が入り混じっているのではないでしょうか。
エンポリオの部屋のリキテンスタインの絵については、こちらもどうぞ~!
思い出を共有できないエンポリオの孤独と悲しみ
さてアイリンたちが徐倫たちと違う人間だったことに悲しんだであろうエンポリオ。でも何が涙を流すほど悲しいのか、もう少し考えてみます。
まず元の世界から新しい世界にやってきた人物は、描かれている限りはエンポリオのみです。アイリンたちは元の世界のことを知らず、エンポリオもアイリンたちの世界のことは何も知りません。それはきっと転校生のような感覚で、孤独や不安を感じていたのではないでしょうか。
またアイリンたちに出会った時に、徐倫たちと再会できた!と一瞬でも思ったならば…期待した分だけショックは大きいですよね~!辛い、辛すぎる…!
さらにエンポリオと徐倫たちの思い出は、アイリンたちと共有できるものではありません。ましてや「別の世界では一緒に戦ったんだよ~!」と言っても、信じてもらえないかもしれない…楽しいことも辛いことも共に経験したのに、悲しくなっちゃうよな~…
だからエンポリオの悲しみは、新しい世界に一人やってきてしまった孤独や不安、思い出を共有できないことによるものではないでしょうか。こんなのしんどすぎるよな、本当…
2. エンポリオのポジティブな気持ち
次にエンポリオのポジティブな気持ちについてです。新しい世界で悲しみを感じたであろうエンポリオですが、ここでは前向きな気持ちについて考察してみます。
プッチを倒したというエンポリオの安心感
まずはプッチを倒した安心感についてです。エンポリオはプッチにとどめを刺した直後、唐突に新しい世界に到達します。そこで徐倫たちとは別の人間に出会ったことで、世界が一巡していないこと、そしてプッチに勝利したことを確信したはずです。きっとほっとした気持ちになったんじゃないかな…
さらに新しい世界で、アイリンたちは戦いとは無縁の平和な日常を過ごしているようでした。だからプッチを倒した達成感や解放感に加え、アイリンたちが穏やかに暮らしていることへの安心感も湧いてきたのかもしれません。
つまりエンポリオは自分がやり遂げたことや、アイリンたちが争いのない世界に生きていることに対し、ポジティブな気持ちもあったのではないでしょうか。色んな感情が混ざっていたからこそ、「ぼくの名前はエンポリオです」としか言えなかったのかもな…
新しい世界のアイリンたちについては、こちらでも触れています~!
別人でも再会できたエンポリオの喜び
次に徐倫たち似の人物に再会できたという喜びについてです。徐倫たちが新しい世界にはいないと悟り、悲しんだであろうエンポリオ。でも他人ではあれど、面影のある人物に出会ったことへの嬉しさもあるのでは…?元ウェザー・リポートを発見した時の表情を見るに、再会を悲しんでいるだけではなさそうなんですよね~!
荒木飛呂彦(2003年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』17巻 集英社(259頁)
ちょっと嬉しそうじゃない…?なんせウェザー・リポートは、幽霊部屋に滞在していたくらいの仲だもんね~!(アナスイもいるけど)
しかもエンポリオは、承太郎と再会する可能性もありそうです。こんな台詞があるくらいだからな~!
荒木飛呂彦(2003年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』17巻 集英社(245頁)
アイリンたちとの出会いも「重力」ということなんでしょうね…!だからこの世界でもまた仲間として、楽しい時を過ごせるかもしれない…そんな風に考えると、エンポリオとアイリンたちが巡り合ったことは、ポジティブな出会いとなり得るのではないでしょうか。
このように懐かしい面影との再会する喜びや、再び仲間になる可能性を考えると、アイリンたちとの出会いはネガティブなことばかりではないはず。だからエンポリオは、ポジティブな気持ちも持っていたと言えそうです。
3. エンポリオとフー・ファイターズとの台詞の関係性
最後に、エンポリオとフー・ファイターズの台詞の関係について考えてみます。注目したいのはこのシーンです。
荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』10巻 集英社(72頁)
「生きる事は思い出を作る事」であり、それが人間らしい知性と気づいたフー・ファイターズ。その思い出が勇気を与えてくれると考え、徐倫たちのために戦いました。
で、これをエンポリオに当てはめてみると…エンポリオがプッチに一人立ち向かうことが出来たのは、徐倫たちとの思い出があったからということになります。それはこのシーンからも伺えそうなところ。
荒木飛呂彦(2003年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』17巻 集英社(232頁)
徐倫とウェザー・リポートの横顔が浮かんじゃってるもんな…!サポート役に徹していたエンポリオが、勇気を出してプッチに立ち向かえたのは、間違いなく仲間の存在があったからこそではないでしょうか。
だってプッチがエンポリオを追い詰めていくところなんて恐怖だもんな~!「逃走中」のハンターばりに追いかけてくるし。怖ぇ~~~~~!!!!
だからやっぱりエンポリオだって、フー・ファイターズと同じように、徐倫たちと楽しい時を過ごしたからこそ、プッチに対峙できたのではないでしょうか。そういえば5部ではフーゴの離脱時に、トリッシュを「音楽の趣味さえ知らない女」と表現していました。フーゴもトリッシュとの思い出があったなら、決断は変わっていたのかもな~…思い出って大事…
フーゴの離脱については、こちらもどうぞ~!
生きる喜びを知ったフー・ファイターズと悲しみを知るエンポリオ
最後はフー・ファイターズが感じた生きる喜びと、エンポリオが知った生きる悲しみについてです。フー・ファイターズはDISCによる復活を提案されるも、徐倫たちとの思い出のない自分に生まれ変わることを拒み、消滅します。
荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』11巻 集英社(105頁)
生きる事は思い出を作る事で、それは勇気を与えると気づいて散ったフー・ファイターズ。それは人間として生きる喜びを知ったという点で、ある意味とても幸せな消滅だったのかもしれません。
一方のエンポリオは、生き残ってしまったが故の苦しみや悲しみを背負って生きていかなければなりません。思い出深い徐倫たちはいないわ、アイリンたちはプッチとの戦いの日々を知らないわ…あんなに頑張ったのに、独りになるなんてそりゃないよ~!と言いたくなるような気もします。
でもそれもエンポリオの運命だったとすれば…そんな運命にも抗いながら、前に進んで行って欲しい。もしかしたらそんなメッセージが込められているのかもしれません。どうなんですかね、荒木先生…!?
まとめ:「ぼくの名前はエンポリオです」には悲しみや安心感などたくさんの気持ちが含まれている
「ぼくの名前はエンポリオです」の台詞について考察してみました。
涙ながらに発した台詞でしたが、そこにはエンポリオの悲しみ、孤独、解放感、再会の喜びなど、複雑な感情が入り混じっていたのではないでしょうか。きっと気持ちが整理できない中、ギリギリ言えたのがこの言葉だったんじゃないかな…
周りがアイリン、アナキスと自己紹介する中、自分だけは前の世界と同じ「エンポリオ」と名乗るのがまたグッと来るこの台詞。短いながら、6部のエンディングの奥深さを演出していたのではないでしょうか。ハッピーなのかアンハッピーなのか…考えがいのある難しいエンディングだよな…!
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