ジョジョの奇妙な冒険3部に登場したDIO。1部から登場していたキャラクターでしたが、3部では手下を引き連れた悪役として、承太郎たちの前に立ちはだかりました。
ジョジョでも屈指の華やかさを持つキャラクターですが、今回はDIOのカリスマ性やかっこよさについて考察してみました。
1. DIOの潔いほどの悪役ぶりとかっこよさの関係
最初にDIOの悪役っぷりについて見ていきます。さてジョジョを代表する悪役でもあるDIOですが、その理由は悪への染まり方にあるのではないでしょうか。凡人が闇の世界に足を踏み入れれば「まともな生活をしたい」「こうなるはずでは…」という希望や後悔が生まれてきても不思議ではないはず。あるいは自分を卑下したりとかね。
でもDIOは悪の世界から抜け出さなきゃ…なんて素振りは一切見せず、闇の中で自分の力を磨いていくんですよね~!なんせ自らハイテンションで人間をやめたくらいの人だからな~!その悪への振り切り方は潔く、見ていて気持ち良さすら感じる気がします。
キングオブ悪役なDIO様ですが、ここからはその内面とかっこよさの関係について、もう少し考えてみます。
DIOのかっこよさとサイコパスの気質の関係
まずはサイコパスという視点から見たDIOと、かっこよさとの関係についてです。さてサイコパスにはこんな傾向があるそうな。
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的
『こんな特徴は要注意! 普段の言動からわかる“サイコパスな人”の見分け方』ダ・ヴィンチWeb(2023年)
DIOやん。
本来はもっと詳細なチェックリストがあるそうなのですが、少なくともDIOにはサイコパスの傾向はありそうです。知ってた。
そしてサイコパスは先天的な気質であり、家庭環境など後天的な影響を受けた気質はソシオパスというそう。DIOは前者っぽいですよね~ほら…
荒木飛呂彦(1988年)『ジョジョの奇妙な冒険』2巻 集英社(56頁)
もろサイコパスだねッ!!
共感性や罪悪感の欠如も家庭環境だけが原因なのではなく、悪として生を受けたからこそのあの言動のようです。仮にもう少し平和な家庭で育ったとしても、多少まともだったかどうか…というくらいで、根本的に気質が変わっていたのではなさそうなところ。先天性のものなのでそう簡単に変わることもなく、「実はいいやつ」なんてこともない、純度120%の悪役なのかもしれません。
ただどれだけDIOがサイコパス的な気質を持っていたとしても、その言動がかっこよさを生んでいるのも確かです。それはきっと万人には思いつきもしない行動に出るからじゃないかな…やらかすことがエグすぎるところはあるものの、漫画だからこそぶっ飛んだ所為が大きな魅力のひとつではないでしょうか。
ちなみに経営者など人の上に立つ職業の人には、サイコパスの気質を持つ人が意外といるのだとか。人とは違う発想だからこそ魅力があり、一目置かれることで、周りの人間がついてくるのかもしれません。DIOもそんなところはあるのでは…?
このようにDIOにはサイコパス的な気質が伺えますが、人を驚かせるような行動がかっこよさの理由のひとつなのかもしれません。多少の常軌を逸した言動もフィクションならではの魅力であり、読者を惹きつけるのではないでしょうか。魔性の男だよな、本当に…
人間をやめたDIO様の話もあります
2. DIOのカリスマ性とかっこよさについて
次にカリスマ性とDIOの魅力との関係についてです。ジョセフにカリスマ!と評されたDIO様ですが、まずは世間一般のカリスマの特徴を見ていきます。こんな感じ。
(1)目立ちたがり屋
(2)自分にうそをつかない
(3)人望がある
(4)キャラクターが分かりやすい
(5)人の気持ちをつかむのが上手
(6)言動に一貫性がある
(7)努力家
(8)自信があり堂々としている
(9)大きな理念を持っている
(10)新しい価値を生み出せる
(11)オーラがある
(12)話し方に魅力がある
高見綾『カリスマ性とは? カリスマ性がある人の特徴12個と身に付け方【診断付】』マイナビウーマン(2022年)
DIOやん(2回目)。
かなりの項目で当てはまるように見えますよね~…サイコパス的な気質から生まれている部分もありそうですが、とにかくDIOはカリスマ的な素質を持っている人物と言えそうです。
ということで、ここからは主にDIOの努力家な一面、言動の魅力や自信と、カリスマ性との関係について見ていきます。
カリスマなのはDIOが努力家だから?
まずはDIOの努力家の一面について考察してみます。さてバトル漫画においてかっこいいと評されるためには強さが必要ですが、DIOはスタンド能力、戦闘力は超一流。時を止めるわ、花京院に腹パンするわとインパクトのある力を披露していました。
でもそれらはDIOの努力があってこそのはずです。特にスタンド能力については磨きをかけるためにエンヤ婆の助言をもらい、1時間止めてみたいな~!なんて発言もしていました。常に高みを目指すDIOですが、ディオの頃からそんな一面はありましたよね~!法学部では首席、上流階級のマナーもすぐに身につけていました。
でもディオ時代からず~~~~っと努力し続けていたか、と言われると微妙なところ…なんせ吸血鬼と化してからは、人間を超えたことに満足していたようだし…
荒木飛呂彦(1988年)『ジョジョの奇妙な冒険』5巻 集英社(55頁)
気持ちはわからんでもないんだけどね…食物連鎖のトップになるわ、顔が真っ二つになっても元に戻るわだもの…
そんなディオもジョナサンに敗北したことで、こんなことを言い出すようになります。
荒木飛呂彦(1988年)『ジョジョの奇妙な冒険』5巻 集英社(97頁)
露伴先生の「尊敬するよ康一くん」くらい信じられん。
露伴先生が康一くんを好きすぎる話はこちらで…
とはいえワンチェンに怒っていたので、結構本気だったご様子のディオ。手のひらクルーッしたところを見るに、余程敗北が衝撃的だったんだろうな…
さらに3部で復活を果たすと、自分が恐怖しているかも…と発言し、こんなことも述べています。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』14巻 集英社(133頁)
それ、自信満々の時にするポーズやんけ。恐怖してない人がするやつよ…
この発言を見るにDIOの恐怖は、ジョナサンとの一戦での敗北が大きく関係していそうです。さらに「ジョースターの血統を案じている」「ジョースター一族は排除しなきゃ!」とも発言もしていましたが、それもジョナサンとの対決の結果があったからこそ。自分が最強!と思っていたのに、諦めずに倒しにくるんだもんね…でもジョースター家への恐怖こそ、DIOの向上心に繋がっているのかもしれません。
このようにDIOのかっこよさの一面である戦闘力を支えているのは、本人の努力はもちろん、その根底にはジョナサンの存在が伺えるのではないでしょうか。やっぱり奇妙な友情なんだよな~!
ジョナサンとディオの関係については、こちらでも触れています~
堂々としすぎているDIOの言動の魅力
次にDIOの言動についてです。んま~~~何かと自信満々なDIO様ですが、印象的なシーンのひとつがこちら。
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(88頁)
これ、ラインスタンプにしてほしい。あと「関係ない、行け」もほしいです。
よくよく考えれば馬車の時代に生まれ育っているので、車なぞ運転できないのだーッ!な訳で。でも下手に出ることはせず、堂々と運転を頼むDIO様。運転できないのでは?なんて疑問を抱かせないどころか、圧さえ感じさせます。いくらスタンドが強いとはいえ、ある意味究極のパワープレーですよね~!しかもわざわざボディガード付きの車を選ぶんだぜ…?強気すぎんか…?
でもそんなDIOにも恐怖があり、克服しようとしていました。その姿勢はツェペリの「勇気は恐怖を我が物とすること」「人間賛歌は勇気の賛歌」という言葉に当てはめれば、「人間の心」を持つ者のはずです。
それでもスピードワゴンが「人間として許しちゃあいけねぇ」と述べていた通り、やっぱりDIOの内面は「人間」ではないのです。ブラフォードの過去を知ったジョナサンが、とどめを刺すのに一瞬躊躇したのに対し、ディオは「忠誠さえ誓えばあとはどうでもいい」と発言。さらにジョースター卿からの恩を仇で返すわ、あれだけ世話になったエンヤ婆を殺すわ…と、他人を思う気持ちや愛があまりにも欠如しているんですよね~…
もっとざっくり言えば、度胸も強さもあるけれど黄金の精神はないとも言えそうです。先の車の件だって、無関係の議員が戦いに巻き込まれて死ぬことも想定済みのはずだし…でも他人への気持ちが欠如しているからこそ、DIOは無情かつ大胆に振る舞えるのかもしれません。そしてそれはジョジョの主人公サイドが持つ「人間」らしさとは一線を画しているからこそ、魅力的なキャラクターに見えるのではないでしょうか。
ラスボスの人間らしさの話もあります。
でもジョースター御一行にもそんなシーンはありましたよね…運命の車輪戦のこれとか…
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』16巻 集英社(180頁)
黄金の精神とは。そして常識人の花京院。えらいねェ〜…
ピンチだろうが堂々と振る舞い、自分の弱さを相手に一切見せない。それは「人間」離れした精神性を持つからこそであり、そんな言動もDIOの圧倒的な存在感やかっこよさに繋がっているのかもしれません。
それでもちょっと繊細なDIO様の話はこちらで…
DIOのカリスマ性を支えた顔の影表現
そしてDIOのカリスマ性を支える表現についても見ていきます。注目したいのはDIOの顔の影です。実はDIO様、3部終盤までは顔に影がかかっており、黒く塗られているんですよね~!いわゆる「影DIO」であり、ミステリアスな雰囲気を醸し出していました。
そして顔がお披露目となったのはなんと27巻!ポルナレフと階段で再会するシーンになります。
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(24-25頁)
見開きのインパクトよ…なおその3ページ後にも見開きドアップ顔を披露してくれるDIO様。サービス、サービスぅ!
ポルナレフが承太郎たちを「白」、DIOを「黒」と表現していましたが、最終盤まで顔を隠すことで、黒き闇に潜む者としての神秘性を効果的に表現しているのではないでしょうか。しかもそのお顔も1部の頃の面影はありますが、より大人びた雰囲気に。髪型なども華やかになり、オーラも増した印象です。この辺りもかっこよさに繋がる重要なポイントですよね~!
このようにDIOの表現の仕方も、カリスマ性やかっこよさに繋がっていたのかもしれません。確かに顔出しで「恐怖とは~」と言われるよりも、影を落とした状態の方が発言にも迫力がある気も…これは荒木先生の表現の見事さだよな~!
ゲームでも目立っているDIO様の話はこちら。
3. 他のキャラクターとDIOとの比較に見えるかっこよさ
最後に他のキャラクターと比較しながら、DIOの魅力を見ていきます。ここではディオ、承太郎、カーズと比較してみました。
悪のカリスマのDIOと未熟だったディオ
まずはディオについてです。赤ちゃんを母親に食べさせたり、ダニーを犠牲にしたりと、んま~~~ゾッとする所業が要所に見られたディオ。ただDIOよりも幼さを感じる描写も多かったのではないでしょうか。母の形見を売った父に怒るわ、酒は飲まずにいられないわ、ジョナサンを苦しめようとエリナにキスするわ…見方によってはギリギリ可愛げを感じる気もします(あくまでもギリギリね)
だから生まれながらの悪とはいえ、DIOほど思いきりよく悪に振り切れていないんですよね~!家族への思い、人としての未熟さが描写されていた印象です。3部になると家族のことなんか出てこないからな~!100年経って吹っ切れちゃったのかな…
また先述のように吸血鬼と化して人間離れした強さを持つようになると、自分が最強と思い込んだのか努力の跡がイマイチみられませんでした。この相手を軽く見てしまうことや怠慢も、ディオの未熟さなのかもしれません。まあ3部でもそういうところはあるけれど…
一方のDIOは恐怖を自覚し、努力をする描写が見られました。しかも1部のようにジョナサンを困らせてやろ~!と相手を苦しめたり貶めるのではなく、自ら勧誘した部下を使いつつ、自分を成長させながら承太郎たちを迎え撃つという方向にシフトしています。大物感が出たというか、正々堂々とやりあおうとしているというか…なんだか大人っぽくなりましたね、DIO様…
このようにディオは悪の一端を見せつつも、どこか未熟さを感じさせる人格だったのではないでしょうか。そして1部での反省を踏まえつつ、より悪役としての存在感、向上心が描かれたのがDIO。この成熟度がDIOのかっこよさに繋がっていたのかもしれません。
ディオとDIOの違いについては、こちらでも触れています~
守るものがある承太郎と捨てるものがないDIO
次に承太郎との比較です。ここでは両者の使命感という観点から考えてみます。
さてホリィを救うためにエジプトに向かった承太郎は、旅路の途中で仲間と出会い、共に苦楽を味わってきました。そして大事な時間を共有した仲間との死を経てDIOに対峙した承太郎には、背負うもの、守りたいものがあったはずです。この辺りはザ・主人公的なかっこよさが感じられるのではないでしょうか。
一方でDIOは部下はいるものの、心から愛せる家族や仲間がいないんですよね~…友人としてプッチがいますが、承太郎一派のような関係ではなさそうに見えます。その点でDIOは、失う怖さ、背負うものがないゆえの強さと大胆さを持つ人と言えるのではないでしょうか。やっぱり主人公サイドというより、悪役として魅力的なんだな…!
でもだからこそ承太郎を怒らせちゃった訳で。守りたいものがある人間の気持ちを散々いたぶっちゃったんだもの…そりゃ~プッツンされるよね…
このように背負うもののある承太郎と比較すると、DIOは他人ではなく自身のためのみに戦っているキャラクターに見えます。承太郎のように心から信頼でき、愛せる人がいないという点で孤独には見えますが、それでも悲壮感を全く感じさせないところがDIOのかっこよさなのかもしれません。
承太郎の内面の話は、こちらでも考察しています~
似ているようで似ていないカーズとDIO
最後にカーズと比較してみます。最強クラスの肉体を持つラスボスとして君臨したカーズとDIOですが、似ているようで似ていないんですよね~…
まずカーズといえば完全生物となり、その説明として「子孫や仲間はいらない」と書かれていました。DIOとも似た孤高の存在にも見えますが、赤石使用前はそうとも言い切れないようで…
例えばエシディシの敗北後のカーズについて、ジョセフは「相当のショックと憎しみを持っているみたい」と述べていました。ジョセフが怒りや焦りではなく「憎しみ」を感じたのは、カーズがエシディシをただの部下ではなく、仲間として意識していたからこそではないでしょうか。この辺りはDIOよりも人情味があるように見えます。
さらにスピードワゴンは柱の男たちの人間への殺害に対して、「人間が蟻を踏んでも気づかないのと同じ」と揶揄していました。非情な性格が伝わりますが、その一方で花や犬の命を守ろうとする一面も見せています。猫バーガーをこしらえたりと、生物に優しい目を向ける描写のないDIOに比べれば、やっぱりなんだかちょっとお優しいというか…
それでもDIOに負けず劣らずの強い自信も感じさせたのがカーズでした。これとかね…
荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』12巻 集英社(42頁)
何をどうやったら足をギターにするという発想になるのか。天才か?
ジョジョとギターについては、こんな考察もしてみました。
常人には思いつきもしないアイデアで挑発してくるカーズ様。ジョセフのことを完全に舐めていますが、それは自分が勝利するという絶対的な自信があるからこそです。そして余裕さえ感じさせる行動は、ポルナレフを階段から降ろすDIOに通ずるところがあるような気さえします。最強の自負を持っているがゆえに、ちょっと遊んじゃうのかも…
このようにカーズとDIOは自信を持つ者ゆえの行動に共通点があるものの、周りの扱いにおいて差がありそうです。それでも言動、戦闘力などは申し分ないため、両者とも多少の方向性は違えど十分すぎるほどの魅力を持つキャラクターではないでしょうか。
そういえば1部では食物連鎖のトップに君臨したディオですが、2部の図を見るにカーズはDIOを捕食するっぽいんですよね~!ほら…
荒木飛呂彦(1988年)『ジョジョの奇妙な冒険』7巻 集英社(89頁)
眠っている間にカーズがいなくなってよかったね!!!
棺桶に閉じ込められていたおかげで、うっかり食べられずに済んだDIO様。ジョセフに感謝…
ジョセフが2部でガンバル話はこちら。
まとめ:DIOのカリスマの気質を持っており、かっこよさに繋がっているのでは
DIOのカリスマ性やかっこよさについて考察してみました。
自信に満ちており、極端なほど悪に割り切っているDIO。こんな人、実際にいたら怖いよね…という恐ろしさも感じさせる一方、そのストイックさや大胆さに目が離せなくなるキャラクターでした。そして目的のためには努力を怠らないところも、一目置いてしまうのではないでしょうか。
歴代のジャンプ史上でも屈指の存在感を放つDIOですが、それは内面の魅力があってこそのようです。あと全身黄色なのもいいよね。承太郎の黒との対比で映えるんだ、これが…
参考文献
マイナビウーマン(高見綾)『カリスマ性とは?カリスマ性がある人の特徴12個と身に付け方【診断付】』
https://woman.mynavi.jp/article/210215-46/(2023年10月13日確認)
ダ・ヴィンチWeb『こんな特徴は要注意! 普段の言動からわかる“サイコパスな人”の見分け方』https://ddnavi.com/review/470226/a/(2023年10月13日確認)
DIOや3部ついては、こちらの記事もどうぞ~!