友達がいなかった花京院はなぜ承太郎たちと仲良しになれたのか理由を考察してみた

ジョジョコラム

ジョジョの奇妙な冒険3部に登場した花京院典明。承太郎と同世代で生まれついてのスタンド使いでした。

スタンドが理由で友人を作ろうとしなかった過去がある花京院でしたが、今回はその理由を考察してみました。


1. 花京院がスタンドが見えない人間との友人関係を拒否した理由

まずは花京院がスタンドが見えない人間との友人関係を拒否した理由についてです。回想では母親と担任の面談のシーンが描かれていましたが、先生曰く「嫌われているというより人と打ち解けない」とのこと。自らも友人関係を拒んだ理由について「法皇の緑が見えない人間とは真に気持ちが通い合うはずはない」と述べていましたが、この考え方に至った理由を考察してみます。

まず想像できそうなのが、スタンドの存在を信じてもらえなかった経験によるものです。もしスタンドの存在を他人に話したことで、怯えられたり相手にされなかった過去があったとすれば、さぞ傷つくだろうし、友人選びには慎重になるよね~…スタンドを大事に思う花京院ならなおさらです。

スタンドの話を抜きにして友人関係を構築することもできない訳ではありません。でも花京院はスタンドを見て欲しかったからこそ、友人選びにこだわりがあったんでしょうね~…それはスタンドが精神性を反映した存在ゆえではないでしょうか。

特に3部のスタンドは騎士道精神を持つポルナレフは騎士、熱くなりやすいアヴドゥルは炎など、本体の性格のコアな部分がダイレクトに表現されていました。寡黙で機転の利くハイエロファントグリーンもまた、本体の性格がよく表れていましたよね~!これが花京院の本質ならば、スタンド使いではない人間とは気持ちが通い合わないと思ってしまうのも理解できる気がします。

 あとは自分もスタンド使いではない人間のことは理解できないと思っていたとかね。本当の精神性が見えない相手のことを理解できるわけがないし、心の通わせ方もわからない、そんな気持ちが友人との関わりを遠ざけてしまっていたのではないでしょうか。心に裏のある人間を嫌う性格らしいしな…

こだわりの強い友人選びをしていそうな花京院。社会の中で生きていくには苦労も多そうですが、一貫性のある生き方ですよね~!すごい17歳だな…

ポルナレフにも一貫して厳しかった話もあります。ぼくだっていやだ!

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花京院の学校生活と価値観との関係

ここで花京院の学校生活を想像しながら、価値観を探ってみます。集団生活を強要される場において友人を作らなかった花京院。ハイエロファントグリーンが気配を消して隠れることが得意なところを見るに、目立たずにひっそり過ごしていたっぽいですよね~…存在感を消せば心配されず、トラブルにも巻き込まれず、問題にもならないもんね。

またプロフィールではチームの和を乱すことを嫌う性格と紹介されていたので、クラスの雰囲気や場を壊すようなことをするタイプでもなさそうです。誰にも理解してもらえない辛さもあったとは思いますが、そのストレスで暴れまわったり、無断で休むこともしなかったのでは…?

そして「人に頭を下げたり従属することを嫌う」「尊敬する者とだけ友達になる」とも書かれていましたが、DIOに「友だちになろう」となだめられ、屈してしまった経験について花京院はこう述べています。

ぼくは自分を呪う!それを聞いてぼくはホッとしたんだ…正直いって心の底から安心したんだ………… まだまだ生きれるんだ!そう思った しかし………屈辱だ…ゆるせない!これ以上の屈辱はない……自分がゆるせなかった……ヤツに精神的に屈した自分を呪った!承太郎に助けられこの旅に出た理由もそれだ!二度とあの時のみじめな花京院には戻らないッ!荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』25巻 集英社(56頁)

尊敬できる者でもないDIOへの恐怖から、精神的に敗北し従属してしまったことについて屈辱!みじめ!!ゆるせない!!!と怒り心頭の花京院。自分に厳しいな~…

 でも花京院の価値観には「尊敬できる者との友人関係>孤独>>>>>>>>>従属」という明確な優先順位があることがよくわかりますよね~!学校でも友人がいない寂しさより、世間体を気にして無理矢理人間関係を築いたり、自分を取り繕うことを嫌っていたからこそ友人を作らなかったのではないでしょうか。

あとは元々単独行動が苦手なタイプではないとかね。人といないと元気が出ない寂しがり屋もいますが、花京院は寂しいけれど、でも…と言えるタイプなんじゃないかな~だからこそ無理矢理人間関係を築くよりも、孤独を選べるのかもしれません。この辺は元々の素質かも。

とんでもなく気高い価値観を持つ花京院。でも高校生まではクラス単位での集団行動が必要なので、それなりにしんどそうですよね~…個人単位で行動できる大学の方が楽しめるタイプだよな…

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2. 花京院が友達を作らない事情を両親に説明しなかった理由

次に花京院と両親との関係に目を向けてみます。友人を作らない行動について、母親は「理由は私にもわからない」と話していました。口を閉ざしていたようですが、なぜ花京院は両親に説明しなかったのでしょうか。

まず考えられるのが不安にさせたくなかったという気持ちです。死の間際に両親に「心配かけてすみません」と謝罪し、「深く思ってはいた」とも書かれていた花京院。でも深く思っているからこそ、心配かけまいと黙っていたのではないでしょうか。しかも「スタンドが見えない人は無理なので…」と話すことは、スタンド使いでないであろう両親を否定することにもなるので、ますます話したくないのかもしれません。

そして両親に友人関係を相談すること自体も、ハードルが高いですよね~!しかも内容が友達を作ろうと思えないって話でしょ~?両親を心配させるどころか、育て方が悪かったと責任を感じるかもしれない、なんて思うとやっぱり話したくないよね~…そもそも一人でいた時間が長い花京院なので、人を頼ったり相談することも得意じゃなさそうだし…

 あとは話しても意味がないと思っていたとかね。生まれつきスタンド使いだった花京院が、両親を含めた周囲の人間にハイエロファントグリーンの存在を一度も話さなかったとは考えにくいはず。でも誰に話しても信じてもらえず、スタンドが見えているのは自分だけらしいと気づけば、話題に挙げること自体やめてしまうのも無理はないんじゃないかな~…

両親への優しさや周囲の環境により、口を閉ざしていたであろう花京院。でも両親がスタンドを理解をするのもかなり難しいですよね~…あのメンタルお化けの承太郎ですら霊」と名づけたくらいだもんね~!凡人には受け入れられないのも仕方ない気がします。

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花京院が本当に欲していたのは気持ちが通い合う人間だったのか

次に花京院が欲していたものについて考えてみます。両親とはスタンドの有無ゆえに埋めきれない距離がありそうでしたが、回想シーンではそんな自分の心境についてこう述べていました。

子供の時から思っていた。町に住んでいるとそれはたくさんの人と出会う。しかし普通の人たちは一生で真に気持ちがかよい合う人がいったい何人いるのだろうか…?(中略)母には父がいる 父には母がいる 自分はちがう TVに出ている人とかロックスターはきっと何万人といるんだろうな 自分はちがう
「自分にはきっと一生誰ひとりとしてあらわれないだろう」
「なぜならこの『法皇の緑』が見える友だちは
誰もいないのだから…見えない人間と真に気持ちがかようはずがない」
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』25巻 集英社(128頁)

父には母、母には父がいるけれど自分は違うとのこと。両親は互いに理解し支え合っているけれど、自分には支える人も支えてくれる人も理解者もいない、といったニュアンスでしょうか。

問題なのは次の「 TVに出ている人とかロックスターには何万もいるんだろう」のくだりです。田村正和とスティングの話ね。それか巨人の選手ね! 

荒木先生としては両親とロックスターらはどちらも真の理解者がいる者として挙げただけで、差異をつける意図はなかったのかもしれません。ただそうではないとしたら…有名人とファンは必ずしも理解し合える訳ではないので「真に気持ちがかよう」存在ではありません。それでも自分の人間関係と比べてしまうのは、気持ちが通じ合う以前に、自分を受け入れてくれる人、存在価値を認めてくれる人を求めていたからではないでしょうか。

とすれば、花京院は父母さえも自分を本当に認めてくれる存在とは思えなかったのかもしれないですよね~…両親はきっと息子に愛情をかけ、心配もしていたはずです。それでも過去の経験やこだわりから、スタンド使いではない人間とは無理!とハードルを上げてしまったんでしょうね~…この微妙な親子関係や距離感も、花京院が両親に気持ちを話せなかった理由のひとつなのかもしれません。愛情を素直に受け取れない辛さよ…

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3. なぜ花京院は承太郎たちに心を許して友達になれたのか

次に花京院が承太郎たちに心を許した理由を考えてみます。さて肉の芽を抜かれて正気に戻ってみれば目の前にスタンド使いが3人も…!DIOの館でスタンド使いを見かけていた可能性はあるにせよ、この能力は自分だけではなかった、同世代にもスタンド使いがいた、友達になれるかもという期待や安心感があったのではないでしょうか。

そんな衝撃的な体験や前向きな気持ちが、承太郎たちとの関係を築いていくきっかけになったのかもしれません。花京院には承認欲求もありそうなので、承太郎たちに興味を持つのはもちろん、自分のことも知って欲しいと思うはず。そりゃ~~~いっぱい話してみたくもなるよな~!お茶のおかわりの仕方とかね。ぼく知識人なんですよアピールね。

あとは単純に承太郎たちとの時間が楽しかったんでしょうね~身内が死の危険にある承太郎たちとは違い、花京院は旅をやめる選択肢をずっと持っていたはずです。それでも行使しなかったのはDIOに敗北した屈辱や助けてもらった恩はもちろん、承太郎たちと過ごすことが刺激的で、一緒にいたいと思ったからこそではないでしょうか。この辺りは承太郎たちの性格の良さもあるよね。

DIO戦前には「今までの旅に、これから起こる事柄に後悔はない」と思っていた花京院。目に大けがを負っても、死を覚悟してDIOと戦う未来が待っていても承太郎たちと共にしたいと言えるのは、仲間がかけがえのない存在だったからこそのはずです。花京院が心を許したのは、スタンド使いに会えた喜びはもちろん、承太郎たちの人徳あってこそなのかもしれません。

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DIOの勧誘の言葉から考える花京院の弱点

最後にDIOから勧誘されるシーンより、花京院の弱点と承太郎たちに心を開いた理由をもう少し探ってみます。これね。

DIOに出会った時正直いって  DIOという怪物にぼくはビビッた…足がすくんで  体中の毛が逆だち全身が凍りついた………(中略)胃がケイレンし 胃液が逆流した ヘドをはく 一歩手前さ!
DIOはそんなぼくを見ながらこう言った…しかも やさしく子供に言いきかせるように
「花京院くん 恐れることはないんだよ 友だちになろう」荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』25巻 集英社(55-56頁)

すごい体調悪そう。ほぼ二日酔いじゃんね…

花京院ナメられてますね~~~~!DIOから見ればまさに「オレは上!きさまは下だ!!」状態ですが、注目したいのが「友だちになろう」という誘い文句です。この友だちという言葉は「わたしと友だちにならないか」と、ポルナレフの勧誘時にも登場していました。

言葉遣いが巧みなDIO様なので、友だちという言葉を使ったのはかなり意図的で、2人の心の孤独を知っていたからこそなんでしょうね~…友達がいない寂しさ、家族を失った喪失感を抱えていた2人に、「友だち」という言葉はどこか安心感を生んだはず。ラバーソウルやスティーリー・ダンの勧誘にはこんな言葉を使ってないだろうしな。

 でもそんな屈辱を覚えているからこそ、友達を作って孤独を埋めるべき、自分も変わらなくては、なんて気持ちはあったのかもしれません。だって肉の芽を埋められて、保健の先生や不良など無関係な人まで傷つけちゃったんだもんね~…同じことを繰り返さないためにも、まずはスタンド使いの承太郎たちに心を開いてみよう、なんて思っていたりして。

あとは承太郎への憧れがあったとかね。危険を呈して救ってくれた承太郎や、介抱してくれたホリィたちの優しさは、家族を傷つけた他人に対する不安や恐怖を差し置いて与えられた無償の愛だったはずです。助けてくれた理由について、「おれにもようわからん」と承太郎にボカされた時には涙ぐんでたもんな、花京院。

  荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』13巻 集英社(131頁)

なんかピアスまでしおしおしてるし…しょんぼり花京院。

わからんと言われたものの、承太郎の優しさは花京院にも伝わっていたはずでね…そんな敵味方を超えた姿勢と、恐怖に打ち勝てなかった自分を比較した時に、情けなさや申し訳なさ、そして承太郎たちへの感謝と尊敬の気持ちが生まれていたのかもしれません。

だから花京院はDIOと対峙して弱さをあぶりだされたからこそ、強く優しい承太郎たちと仲良くなりたいと心から思ったのではないでしょうか。スタンド使いゆえに孤独だった花京院が、スタンド使いだからこそかけがえのない友ができたのが味わい深いよね…!

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まとめ:花京院が承太郎たちと仲良しになれたのは人徳、感謝や尊敬の気持ちがあったから

花京院の友人関係について考察してみました。

友人選びに明確な基準を持っていた花京院。学校生活や両親との関係の苦労も想像できますが、自分の信念にブレることなく生きていました。なかなかああはなれないよね~…

しかしあのガードの固い花京院にに入り込んでくる承太郎たちもすごいですよね~!アニメ版なんて集合写真まで撮ってたからな~!さすが誇り高き一族というか…

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