ジョジョの奇妙な冒険5部に登場したペッシ。マンモーニ呼ばわりされ、ブチャラティには「ゲス野郎の心に堕ちた」とも評されていました。
そんなペッシは本当にマンモーニでゲス野郎だったのでしょうか。考察してみました。
1. ペッシは本当にマンモーニだったのか
まずはペッシがマンモーニだったのか、プロシュートの言葉を中心に考察してみます。マンモーニとは母親への精神的、物理的な依存度が高い男性のことを指すそうですが、プロシュートはペッシとオカンの話をしているのではなくて。氷を破壊されたペッシがスタンドを解除したことに怒った台詞を見てみると…
だが!オレたちのチームの他のヤツならッ!あともうちょっとでノドに食らいつけるって「スタンド」を決して解除したりはしねえッ!たとえ腕を飛ばされようが脚をもがれようともなッ!
オメーは「ママッ子」なんだよペッシ!ビビッたんだ…甘ったれてんだ!(中略)心の奥のところでオメーにはビビリがあんだよ!荒木飛呂彦(1997年)『ジョジョの奇妙な冒険』53巻 集英社(22頁)
暗殺チームの一員として大甘ちゃんすぎるでしょ!というお説教でした。チームの命運を賭けて死者を出しながら臨んでいるミッションにおいて、スタンド解除は保身に走ったとさえ捉えられるんでしょうね~…ギャングとしての覚悟と責任感を持って働けよ~!とドヤすプロシュートにしてみれば、ペッシはマンモーニに見えたのではないでしょうか。
さらに「ブッ殺してやる!」は弱虫の言葉でしょ!と兄貴に怒られていたにもかかわらず、ブチャラティ相手に使ってしまったペッシ。その際にはこのようなお言葉をもらっていました。
荒木飛呂彦(1997年)『ジョジョの奇妙な冒険』53巻 集英社(166頁)
そりゃ~~~そうだよね~!「ブッ殺す」は殺意があることを表す言葉なので、自分が不利になるもんね。口より手を動かせ!隙を見せずにサクッと殺せ!というのがギャングとしての基本姿勢なんでしょうね~…ということで少なくとも乗車直後とブチャラティに「ブッ殺してやる」発言をした時のペッシは、ギャングとしては一人前ではなくマンモーニだったのではないでしょうか。

プロシュートの死を覚悟した後のペッシはマンモーニだったのか
そんなペッシもプロシュートの死を覚悟した際には、ブチャラティに「10年の修羅場をくぐり抜けてきたスゴ味を感じる」と言わしめるほどのオーラを発していました。全然マンモーニじゃないやんけ!と言いたくなりますが、やっぱり兄貴のような一流のギャングには及ばなかったんですよね~…
特にペッシは物事の優先順位のつけ方がメチャクチャでね。例えば話の序盤を見てみると…
荒木飛呂彦(1997年)『ジョジョの奇妙な冒険』52巻 集英社(96頁)
殺しの経験がないのに「ブッ殺してやる」とか言っちゃうペッシ。んも~~~~カッコつかないんだから~!
「仲間の敵だ!ブッ殺す!」とボヤいていたペッシに対して、プロシュートは共感を示さず「ブッ殺すなんて使うな」とお説教するだけでした。アニメ版では仲間思いな描写が追加された暗殺チームなので、プロシュートも仲間の死に思うところはあったはずです。でもそんな悲しみを抑えて、最後までトリッシュ奪還という任務を最優先していたんじゃないかな~…
一方でペッシはプロシュートの死を悟ると、ブチャラティに「きさまなんかに兄貴のトドメをささせるものか」「オメーに兄貴の償いをさせることで任務が終了する」など、事あるごとにプロシュートの敵討ちを果たしたいという気持ちを表明します。もう戦いの目的がトリッシュ奪還から兄貴の弔い合戦に変わってるんですよね~…
だからブチャラティ戦でマンモーニから抜けたように見えても、トリッシュの件に集中できていない以上、一流のギャングとまではなれなかったのではないでしょうか。でもあれだけ気にかけてくれた兄貴が死んじゃうんだもんな~ペッシの気持ちもちょっとわかるよね…
敵討ちのためにボスの命令を放り投げちゃったスクアーロの話

2. ペッシは「ゲス野郎の心に堕ちた」のか
次にペッシが本当にゲス野郎だったのか考えてみます。話の終盤で「ゲス野郎の心に堕ちた」とペッシを評していたブチャラティ。その一方で戦闘中には「ダイヤモンドのような固い決意を持つ気高さ」を感じ驚いていました。なぜここまで評価が一変したのか、順番に見ていきます。
まずプロシュートの死を覚悟したペッシは、「トリッシュをゲットしてプロシュート兄ィの意志をとげる!」と宣言してブチャラティに立ち向かっていきます。トリッシュ奪還を目指すのはもちろん、ジョジョのテーマである継承を感じさせる発言で、主人公サイドでもよく描かれる美学だったからこそブチャラティも評価していたのだと思います。
ところが敗北が決まると「暗殺チームが追跡しやすいように仲間を殺す!」と言いながら亀を岩に叩きつけようとする素振りを見せていました。その理由がこれね。
荒木飛呂彦(1997年)『ジョジョの奇妙な冒険』53巻 集英社(173頁)
「死ぬんだから何でもやるぜ!部下を減らしてお前を絶望させてやるぜ!」とのことですが、この発言の直後、ブチャラティにゲス判定を食らうハメに…つまり死の直前の言動が原因のようです。
ブチャラティの仲間を減らして絶望させることは、暗殺チームがトリッシュ奪還を成功させるための作戦としてはアリのはずです。ただ5部的にはダメなんでしょうね~…5部では「結果よりも過程が大事」というシーンが何度も描かれ、物語全体のテーマでもありました。過程を飛ばして結果にたどり着くディアボロの能力とか、「真実に向かおうとする意志が大事」と話したアバッキオの同僚とかね。
その基準で考えてみるとペッシの作戦は結果的にはオッケーでも、そこに至るまでの過程が「ゲス野郎」と判定されかねないんだろうな~…たとえ暗殺チームのためだとしても「お前を絶望させてやるガハハ!」と発言されたら気高さは感じないし、ましてやブチャラティのような清い心の持ち主にはゲスに見えるよね。
だからペッシの言動はチームを救うという結果のためには良くても、その発言内容や態度が5部とブチャラティの基準ではアウトだったのではないでしょうか。少なくともブチャラティに立ち向かっていった時のちょっとかっこいいペッシとは違ったよね~…一度気高かったからこそ、ますますゲスに見えちゃったんだろうな~…

ゲスだらけの5部におけるペッシのランク
でもさでもさ!ブチャラティの基準自体、高くない?ブチャラティだってギャングなんだからゲスじゃない?とも言いたくなるはず。ということで、ペッシのゲス度合いについてもう少し考えてみます。
まずギャングである以上、一般的には超人格者とは言えないはずです。なんならブチャラティチームもみんなゲスと判断することだってできるよね。
ただゲスだらけの5部では、ギャングの中でもランク付けをして描かれていたのだと思います。トリッシュに家を用意するほど優しく、天使と昇天したブチャラティがSランクなら、一流のギャング精神を持ちながらも「飛行機墜落の被害よりはマシだから乗客ごと攻撃する!」発言をしたプロシュート兄貴はAランク、マンモーニのペッシはもう少し下のCランクみたいなね。そして最低ランクはチョコラータとセッコね。潔いほどのゲス。
だからゲス野郎呼ばわりされたペッシは、チョコラータらほどの超~~~~ゲスに堕ちた訳ではないけれど、ブチャラティも感心するような精神性を持つことはできなかったのではないでしょうか。一瞬だけ兄貴のようなAランクに近づいたものの、やっぱりCランクどまりのギャングだったんでしょうね~…一流のギャングの道は険しい…

3. ペッシとオインゴ・ボインゴ兄弟との比較
最後にオインゴ・ボインゴ兄弟との比較をしてみます。承太郎らに撃破(?)されたオインゴに代わって、敵討ちを果たそうとしていたボインゴ。ホル・ホースと組まされて再度立ち向かうも敗北し、「僕はこの戦いで成長した」「スタンドは幸せのために使う」と決意を見せてグッドエンディングを迎えるかと思いきや、オチはこれよ…
荒木飛呂彦(1991年)『ジョジョの奇妙な冒険』24巻 集英社(47頁)
性格は変わらず、無念の再起不能に…これ、プロシュートの敵討ちのためにマンモーニから一瞬成長を見せるも、結局はゲス呼ばわりされて死亡するというペッシの話と流れがそっくりですよね~!
ボインゴもペッシも勇気を振り絞り、仲間の思いを引き継いで出来ることを一生懸命やったのだと思いますが、大きな成長を見せることはありませんでした。過程を大事にするジョジョなら、もっと成長を認めてあげてもいいのでは…?と思いますが、それでも許されなかった理由は、ブチャラティのこの言葉に表れているのではないでしょうか。
荒木飛呂彦(1997年)『ジョジョの奇妙な冒険』53巻 集英社(180頁)
ゲスは何をやってもダメよとのこと。ボインゴの話も「人の性格はそう簡単に変わらない」という言葉で締めていたように、表面上ならまだしも根っこの部分から人格が変わることなんてそうそうないよ、悪役は所詮悪役だよ、という話なんでしょうね~…
だからこそペッシはあれだけ兄貴に釘を刺されていたのに「ブッ殺してやる」発言をしてしまい、マンモーニっぽさを残して死亡したのではないでしょうか。やっぱり人は簡単には変われないし、成長が許されるのは主に主人公サイドのキャラクターというのが荒木先生の描き方なんだろうな~…でもくじけちゃダメだよペッシ!人生とはそういうものだから…

まとめ:ペッシはマンモーニで5部のテーマ的にはゲス野郎に堕ちたのかも
ペッシのマンモーニ、ゲス野郎という評価について考察してみました。
一生懸命頑張ってもやっぱりギャングとしてはどこかマンモーニで、悪役らしさも描かれたペッシ。ボインゴと比較すると、悪役はあくまでも悪役という荒木先生のキャラクターの描き方の一貫性も見えてきそうです。
でもやり方はゲス判定されても、彼なりにチームのことを最後まで思っていた気持ちも伝わってくるよね…このヒーラーっぽさと人情が感じられる絶妙な塩梅が、暗殺チームの一員らしいのではないでしょうか。
暗殺チームの話はこんなのもあります


