ジョジョの奇妙な冒険5部に登場するディアボロ。長い妊娠期間など、謎多き過去のあるキャラクターでした。
今回はディアボロの過去やジョルノとの比較からディアボロは何者だったのか、人物像を考察してみます。
1. 超真逆!?ディアボロとジョルノとの生い立ちの比較
まずはジョルノとの過去を比較しながら人物像を考察してみます。この2人ね~~~かなり正反対に描かれているんですよね~!実の両親の愛を得られず、第三者に救われる点はそっくりです。でもジョルノが名もなきギャングとの関わりで、人を信じて正義の道を歩んだ一方、ディアボロは神父に見守られるも、母親を生き埋めにするなど悪の道を選んでいます。
他にも他人であるギャングを草むらに隠して救い、レクイエム化すると真実にたどり着けなくなる能力だったのがジョルノ、実母を床下に隠して殺し、結果にたどり着くスタンドを持つディアボロ…など、綺麗な対比が多いこの2人。荒木先生、かなり意図的に描いていたのでは…?
そんな真逆の人物像は、「黄金の精神を持つ主人公ジョルノvs悪役ディアボロ」という構図を際立たせる効果があるのではないでしょうか。そして似た境遇という点からは、苦しい生い立ちでも人として正しき道を歩まなくてはいけない、あるいは歩んでほしいというメッセージが含まれているようにすら感じられます。でもそれが難しいんだよね…むしろあの過去から立ち直れたジョルノがすごいんだよな~!

2. ディアボロの持つドッピオ人格とはなんだったのか
次にドッピオ人格の意味についてです。2つに分かれた人格のモデルは解離性同一障害と思われますが、現実的に考えればポルナレフの話のとおり、幼少期の衝撃などで人格が分離したことになります。ただ荒木先生は精神疾患と戦うラスボス像を描きたかったわけではないよね~…ディアボロだってノリノリでドッピオのことを動かしていたしな~!
むしろドッピオ人格がいることは、「ボスは人知を超えた存在である」という意味ではないでしょうか。実際、ディアボロの実績ってかなりすごいんですよね~!2つの人格を扱いながら、パッショーネを創設しイタリアの裏社会を牛耳ったり、ためらいなく自殺した者がいたほどのカリスマ性を誇ったり、正体不明を貫いたり…なんてそこらの人間には到底できないよね。あと「何かわからんがくらえッ!」と思い切りも大変よい。ボスには行動力があります。
そんなディアボロに匹敵する実力者だったのが、真逆の人物像を持つジョルノ。ブチャラティの心を生き返らせ、チームのピンチを何度も救い、パッショーネを正しき道に導いていましたよね~!その様子はジョルノのモデルであろうキリストが起こした「水をぶどう酒に変える」「嵐を鎮める」といった数々の奇跡を想起させるほどです。(参照:「ジョジョのキリスト教の元ネタ一覧をまとめて考察してみた」)
でもね両者は奇跡的な行いをするも、1つの人格のジョルノはあくまでも普通の人間。ディアボロはドッピオがいることで、2つの人格を操る特異な存在であることがより強調されているように見えます。そして運命という神の領域に抗う5部のストーリーの中で、ジョルノがディアボロに向って行くのもまた超人的な存在への対峙として描かれていたとすれば、ドッピオはディアボロの強大な力や5部の話の奥深さを表すのに一役買っていた、超重要ポジションだったといえるのではないでしょうか。
こんな風に考えると、荒木先生が好きなキャラベスト10にディアボロとドッピオを挙げていたのもわかる気がしますよね~!めちゃくちゃ作り込まれているもんな~~~~ボス!

ボスの過去を反映したディアボロとドッピオという人格
今度はディアボロ、ドッピオ人格と、ボスの過去を比較してみます。優しくどんくさくも困難に立ち向かえるドッピオ、冷酷なリアリストで社会やドッピオを裏から操るディアボロと、真逆の性格を持っていた両人格。それはボスが受けてきた愛情と悲しみを反映しているのかもしれません。
例えばボスは養父の神父に見守られ、ドナテロとの交流もありましたが、そんな明るく、人の温かさに触れた過去はドッピオの穏やかな人格に影響しているのではないでしょうか。一方、実親の愛情をもらえない寂しさ、母親を床下に埋めるほどの複雑な思いなど、辛い経験から生まれたのがディアボロなのかもしれないよね。とすれば、ボスは不幸しか知らない人間ではないんですよね~…
で、両者の力関係はディアボロ>ドッピオでしたが、もしドッピオ>ディアボロだったとすれば…?時に黄金の精神を感じさせるほど勇敢なドッピオだったので、主人公サイドにいても不思議ではないよね~!順風満帆とはいえない過去を持ちながらも、人の優しさに触れて生まれたであろう人格があるのは、事の次第では正義の道を歩んでいた、という示唆なのかもしれません。
それでもジョルノのように人を信じられず、正義の道を歩めなかったからこその悪役キャラなんだろうな~…人生は本当、紙一重というべきか…

3. ディアボロの出生シーンの謎とキリスト教との関係
最後にディアボロの謎の出生シーンの意味についてです。原作ではこちら。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』61巻 集英社(129頁)
2年間の妊娠期間なんて人間ではありえませんが、だからこそこのシーンでもディアボロが人知を超えた人物であることが強調されているのではないでしょうか。アニメ版なんて産声をあげず、目が開いていたもんな…
でね、5部はキリスト教との関連が深い話でしたが、キリスト教で人体の仕組みを超えた妊娠といえば、処女でキリストを出産した聖母マリアを思い出すところ。もしディアボロの出生もキリスト教と紐づけられていたとすれば、キリストのようなカリスマ性を持ち、奇跡を起こせる人物の誕生物語のオマージュと捉えることもできそうです。やっぱりドッピオ人格を生かせれば、救世主キリストのようにこの世を良き方向に導く存在になっていた、という意味なのかもしれないよね~…
でもお母さんもまさか息子に床下に埋められるなんて思わないよな~…救世主の可能性を持ちながらも、闇の中に生きたのディアボロなんでしょうね~やはりドッピオがもっと主権を握っていれば、日の当たる道を歩めたんだろうか…?

まとめ:ディアボロの生い立ちの謎からは正義の道を歩めた可能性が見えるのでは
ディアボロの過去について考察してみました。似た過去を持つジョルノとの比較、優しく勇敢なドッピオ人格、人知を超えた出生シーンなどを見るに、悪の道を選んだディアボロにも正義の道を歩む潜在性があったことが伺えるのではないでしょうか。主人公サイドでも活躍できる力はありそうだもんな、ボス。
そんなディアボロの姿も見てみたかったですよね~!スタンドは強いし、キレ者だし、あと行動力もすごくある(2回目)。めっちゃ魅力あるじゃん、ボス~~~!!!


