ジョジョの奇妙な冒険に登場した空条承太郎。一人称は「おれ」ですが、「わたし」を使用することもありました。
今回は承太郎の一人称が変化した理由を考察してみました。
1. 承太郎が大人になったという表現の一人称「わたし」
まずは荒木先生が表現したかった承太郎像について考えてみます。「おれ」を使っていた4部から約2年後、5部の康一くんとの会話シーンで「わたし」が登場した承太郎。一人称が変わるだけで大人っぽい雰囲気が出ましたね~!それは「おれ」には血気盛んや男らしさ、「わたし」にはより落ち着いたイメージがあるからのはずです。
で、わざわざ一人称を変えたのは、荒々しかった3部とも、仗助らよりも年上らしさがありつつ「女が騒ぐとムカつく」なんて話していた4部とも違う承太郎像を演出したかったからのはず。より落ち着いた雰囲気を出すことで、「おれ」を多用する荒っぽいギャングたちとの差別化、そして5部ではあくまでも脇役で、メインから一歩引いたアドバイザー的な立場であることを強調しているのかもしれません。同じく5部では準主役のポルナレフの一人称も「わたし」が主だしね。
あとは仕事での一人称を使っていた説ね。承太郎は4部終了後に博士号をとっていましたが、論文執筆がひと段落したことでより仕事に集中できるようになったはず。その流れで社会人らしい言葉遣いの「わたし」を使っていたのかもしれません。色々な理由が考えられそうですが大人びた人物像、脇役の立場を表現するための「わたし」だったのではないでしょうか。

2. 承太郎の一人称が6部で「おれ」に戻る謎
そんな承太郎ですが、6部の一人称は再び「おれ」に戻ります。5部の時よりもさらに大人になったはずなのになんで?と言いたくなりますが、徐倫の前でも使用していたところを見るに、この頃は少なくともプライベートでは「おれ」が基本なんでしょうね~!
「おれ」に戻した理由として考えられそうなのが、6部では承太郎が主役クラスの人物であること。戦闘にも参加していましたが、戦う男の闘争心や熱さ、マスキュリンさが「おれ」という言葉で表されているのかもしれません。同じくメインキャラのひとりとして敵と戦う3、4部も「おれ」だしね。
ところで5部ポルナレフも時々「おれ」を使っていますが、それはローマでのブチャラティとの初対面、ディアボロとの戦闘中、そしてすべての戦いが終わり「おれの肉体は死んだが、亀の中に住まわせてもらうことにした」とホッとした表情で口にする場面。緊張感が走る時、安心して素が出ているような時に使っていたようです。その他ジョルノらとの会話は基本的に「わたし」ね。
とすれば承太郎、ポルナレフともに年齢を重ねても基本は「おれ」だったのかもしれないよね。むしろ5部のような脇役であるというメタ的な事情、ある程度距離のある相手との会話などの時に「わたし」が登場するのではないでしょうか。実際の人間関係でも、相手によって一人称を変えるなんてよくある話だもんね~!
承太郎も康一くんの前では「わたし」でしたが、もっと仲良しな関係だったら「おれ」のままだったのかもしれないよね。え?ポルナレフはジョルノたちと仲良しじゃなくないって?あれはね、コミュ力おばけだから(なお文字通りおばけの模様)

3. 承太郎の一人称と花京院、アヴドゥルの「わたし」との比較
最後に3部の仲間の一人称の使い分けと比較してみます。3部ではアヴドゥル、花京院の一人称が変化していました。花京院は「わたし」から「ぼく」に統一されたので、キャラクターが確立するまでのブレだと思われます。ただ理由をつけるとしたら、元々素で使っていたのは「ぼく」で、仲間との絆が深まるにつれてよそよそしさのある「わたし」から変えたのかもしれないよね。
問題はアヴドゥル。初登場の13巻ではジョセフに「わたし」を使う一方、承太郎との戦闘やカフェでの会話時には「おれ」、空条邸で承太郎や花京院と話す際には「わたし」を使用していました。その後は「わたし」で統一されたので、これもブレなのでは…?と言いたいところですが、実は「おれ」もあってね。どうせ戦闘シーンでしょ~!?と言いたくなりますが、見てこれ。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(150頁)
まさかのギャグシーン。に…にゃにお~~~んッ!
本当に素に近い時は「おれ」なのでは?という可能性も考えられますが、ヴァニラ・アイス戦での心の声の一人称は「わたし」なんですよね~…
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』26巻 集英社(42頁)
つまりアヴドゥルも基本は「わたし」だったことになります。とすれば審判戦での「おれ」の使用は、ズッコケシーンだからこそなんでしょうね~!たしかに「ありゃわたしの変装だ」より「ありゃおれの変装だ」の方がリズム感がいいし、男同士のノリでからかっていたことも伝わる気がするよね。真面目なアヴドゥルにふざけている感が出るのも、普段のキャラとのギャップがあって面白いのでは…?
「おれの変装だ」の1ページ前には「わたし」を、そしてアヴドゥルパパに変装した時にはちゃ~んと「わし」を使用していたアヴドゥル。かなり巧妙な一人称の使い分けをしているようですが、承太郎やポルナレフとは違う唐突な「おれ」はアヴドゥルの、そして荒木先生のギャグセンスが光るシーンだったのではないでしょうか。アヴドゥル、やっぱり頭撃たれて面白キャラになっちゃったのかな…?
なんだかんだでめちゃ優しいアヴドゥルの話

まとめ:承太郎の一人称が「わたし」に変化したのは大人っぽさの表現、主役ではないからでは
承太郎の一人称の変化について考察してみました。「わたし」への変化は大人っぽさの表現、主役か否かなどと関係していると言えそうです。たしかに承太郎の「わたし」は、ちょっとキャラが変わった感じもしますよね~!実際、「わたし」の初登場シーンで驚いた読者も多いのでは…!?
そして何よりアヴドゥルね。承太郎、ポルナレフの使い分けよりもさらにテクニカル(?)でしたが、潜水艦を買うのに大富豪のフリをしていた時は、どんな一人称だったんでしょうね~…気になる…


