ジョジョの奇妙な冒険3部に登場する花京院典明。頭脳派で冷静な態度も目立つ人物です。
そんな花京院はポルナレフにだけは当たりが強いこともしばしば…今回はその態度の理由を考察してみました。
1. ポルナレフはリアクション芸人!?
まずはポルナレフの人物像と花京院の態度との関係についてです。
ポルナレフがヘリコプターだと騒げば「見りゃあわかる」だの、コーヒーは「自分で入れろ」だの何かと当たりが強めな花京院。でもそれは多少キツい言動でも、ポルナレフならノリ良く返してくれると思っているからではないでしょうか。なんせポルナレフの返しは優秀だからな~!ほら見て…
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(150頁)
リアクション芸人の鏡やんけ。頭からいく思い切りの良さ、100点満点。
他にも便器の件などからかわれがちなポルナレフですが、ついちょっかいを出したくなるのは、面白いリアクションが期待でき、根に持たないからこそですよね~!花京院もこんなポルナレフの一面を知っているからこそ、強めの一言を言いたくなってしまうのかもしれません。傷つきやすい人にはさすがに言わないだろうし、無反応じゃ寂しいもんね…
だから花京院の言動はポルナレフのリアクションあってこそなのではないでしょうか。3部のお笑い担当だもんな、ポルナレフは…
2. 花京院から見たポルナレフの人物像と能力
次は花京院から見たポルナレフの人物像に注目してみます。まずは頭脳についてですが、恐らく花京院は自分の方が頭がいいし、状況把握能力もあると思っているんじゃないかな~…だって死神13戦のポルナレフ見てよ…
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(130頁)
「夢ならありうるぜ」での唐突なイケメン顔、ズルすぎない???こんなの絶対笑うやん…
ポルナレフに必死の説得をする花京院。さらには犬の死体や手の傷を見せて説明するも、結局はこれ。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(132頁)
このフランス人、全然話聞いてくれない。
観覧車をぶん殴って説得しても、呑気にアイスをペロペロしてるんだから、花京院だってそりゃ~~~~呆れるしプンスカするよね…しかも強力なスタンド使いを倒すには、ポルナレフの力だって不可欠な訳で…だからこそますますアイスなんか食うな!しっかりしろ!とも言いたくなるのではないでしょうか。
さらに花京院はポルナレフの「ここは夢」という主張には、耳を傾けもしないんですよね~!それは花京院だけが2度夢を体験しているからなのはもちろん、頭脳に関してはポルナレフより自信があるからこそではないでしょうか。DIOの秘密に気づいたり、実際頭いいしね。
だから花京院はポルナレフよりも頭がいいという自負があるからこそ、つい強く出てしまうこともあるのかもしれません。まあこれはしょうがないところもある気が…なんせマニッシュ・ボーイ(0才11か月)にも頭が悪いとか言われてたからな。時々頭脳がまぬけになる24才。
性格が似ていない花京院とポルナレフ
花京院とポルナレフの性格について、もう少し考えてみます。死神13戦では全く話の通じていなかった2人ですが、それもそのはず性格が全然違うんですよね~…
ポルナレフは「直情タイプ」と評されていたように自分の気持ちに正直で、考えるより先に行動する性格。後先を考えていないこともしばしばありました。運命の車輪戦なんか、荒っぽい運転をして注意された挙句にこれだもん。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(191頁)
もうめちゃくちゃ。そりゃ花京院だって怒るよな~~~~~!!!!
一方で花京院は頭脳派的な役割を担っていました。運命の車輪戦では一般人に暴力を奮う承太郎たちをひとり止めに入ったり…と、感情やその場の流れに任せて動くというより、頭で考えた上で判断を下すのが得意なタイプです。全然性格違うやんけ。
そんな2人の行動差がよく表れていたのがDIO戦前でした。ポルナレフは「日の出を待つのではなく、今すぐDIOを討ちたい」と主張し、花京院も賛同します。しかしジョセフに「日の出前にチャンスがあるから待つべき」と反論されると、2人の行動に差が見えました。
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(73頁)
ジョセフの意見に反対して1人でDIOを追おうとするポルナレフに対し、花京院はその場に残って承太郎に意見を求めます。ポルナレフは目の前でアヴドゥルとイギーの死を見ているからこそ、感情が高ぶっているはずです。ただ仮に花京院がポルナレフの立場だったとして、同じように行動するかと言えばきっと違うよね…
それほどまでに性格が違う2人なので意見が合わないことだって多々あるだろうし、ましてや花京院が自分の方が頭がいいと思っているなら、時に強い言葉が出てくるのも自然なことなのかな~…という気がします。でもいいと思えば賛同する様子からは、仲間として認識していることも伺えるのではないでしょうか。
3. 花京院にとってのポルナレフと承太郎たちとの違い
次に承太郎たちとポルナレフとの違いに注目しながら、花京院の態度について考えてみます。
花京院は敵として現れたにも関わらず、承太郎たちに肉の芽を抜くという危険を冒してまで命を助けられました。だから花京院は承太郎たちに大きな借りがあるんですよね~そんな背景ゆえに、自然と物腰柔らかな態度になるのかもしれません。
一方ポルナレフに対しての借りはないので、丁寧に接する義理はありません。とはいえ仲間だからね~…意地悪してやろう!なんて思ってはいないはずです。それでもちょっとガサツな態度になるのは、肉の芽埋められたスタンド使い同士という安心感を感じているからなのではないでしょうか。
スタンド使いである孤独からDIOに屈し、屈辱的な気持ちを抱いていた花京院。でも同じスタンド使いであるポルナレフが似た経験をしているというのは、どこかホッとしたり、勇気をもらえるものなのかもしれません。ましてや今まで友達を作らなかった花京院なので、親近感から自然と距離を詰めていたりして…
J・ガイル戦で深まった花京院とポルナレフの絆
そしてポルナレフとの距離感が近くなったであろう一件がJ・ガイル戦です。花京院はポルナレフの命の恩人で、敵討ちを手伝った人物なので、ポルナレフに大きな顔をできる理由は一応あります。
ただそんな借りよりも、花京院は戦いを通して「ポルナレフとは信頼関係を構築できた、気持ちが通じ合った」という自信を持ったことが、あの態度に繋がっているんじゃないかな~!だって見てよ、最後の方なんかちょっと楽しそうじゃんよ~!
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(61頁)
ノリノリ典明すぎる。
花京院が怒ればポルナレフが、ポルナレフが怒れば花京院が「我が名は~」と言い出し、互いをカバーし合うコンビプレー。2人の連帯感が生まれていたからこそのシーンではないでしょうか。そもそも涙を浮かべて他人の弔いのために戦うなんて、互いに気持ちが同じ方向を向かないと出来るもんじゃないよね~
だから花京院のポルナレフに対する態度は、親近感や信頼あってこその気がします。信頼されているのか不安ならば、あえて厳しいことを言ったりしないもんね~!しかもリアクション芸人とくれば、いじりたくもなるんだろうな~…
承太郎とポルナレフは何が違うのか
でもさ~~~~高校生同士の承太郎よりも年上のポルナレフに厳しいのはなんで?ということで、承太郎と花京院の関係についても少し考えてみます。
まず承太郎とは互いに察しの良さそうな描写がありましたよね~!「相撲は好きか?」「好きだけど拳で殴るのは反則」といった楽しそうなやり取り、花京院がDIOの館前で合流した時の無言の握手など、多くは語らずとも互いに求めているものを感じ取れる関係に見えます。
この辺は承太郎の頭がいいこと、そして年が近いからこそなのかもしれません。でも年が近いからこそ、花京院にしてみれば「かっこいい承太郎に劣らないよう、かっこよくありたい」「天才的なスタンド使いに負けたくない」という競争心も生まれるのではないでしょうか。だから承太郎には、ウマが合う友人としてリスペクトしつつ意見はしっかり言うスタンスをとるのかもしれません。
あとは「祖父のジョセフを前に失礼な態度はとれない」という第三者的な理由とかね。でもポルナレフと承太郎の大きな差は、人物像と年齢の近さにあるのではないかな~と思います。でも年が近いからこそ、学ラン日光浴のようなちょっとふざけたノリも気が合って楽しいんだろうな~!
4. 花京院にとってのポルナレフという存在
最後に花京院にとってのポルナレフという存在について考えてみます。さて花京院のプロフィールには、性格についてこのように書かれていました。
彼は一見して女性的に見られがちだが、実は違う 人に頭を下げたり、従属したりすることを非常に嫌う 尊敬するところのある者とだけ友人になると思っている その場合、寛大でやさしく、相手を立て、思いやる 率直でやさしいということは、一方で、秘密や心の裏に陰謀のある人間を徹底して嫌う 彼は、ひかえ目だが、チームの和を保とうとする気持ちは、誰よりも強い荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』15巻 集英社(7頁)
注目したいのが「尊敬できる人とだけ友人になり、寛大で優しく接する」の部分。もしかして承太郎たちは友人で、当たりの強いポルナレフは違うの…?ともなりそうですが、花京院が嫌うのは「心に裏表のある人」とのこと。だから自分の気持ちに正直なポルナレフのことが嫌いなはずはないんだよな~!
それでもチームの和を大事にする花京院にしてみれば、ポルナレフの行動は信じがたく、腹立しく思うのもまた確か。チームを抜けてアヴドゥルを犠牲にしたJ・ガイル戦なんて、肘鉄で済んだのが奇跡だし…ポルナレフには厳しくされるだけの理由もありますよね~
でも花京院はあの件を肘鉄だけで終わらせたとも言えなさそうで…審判戦後のこのシーンを見ると…
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(150頁)
いいコケ方してくれるな~~~~!!!サンキュー、リアクション芸人。
花京院がポルナレフには内緒作戦を思いついたとのことですが、これ、J・ガイル戦でのポルナレフにお灸をすえるためにも多少やっても構わないだろう、という気持ちもあるのでは…?仮にポルナレフに責められたとしても、「アヴドゥルを危険に晒したやつが言えたことか」と反論できるしな~だからこそ「ボクも知ってたよ」ではなく、「作戦を提案したのはこのボク」とわざわざ挑発するような自白までしたのかもしれません。
だからやっぱりポルナレフに共感しきれないからこそ、花京院は強く当たっている可能性もあります。それでも大事な仲間と思いながら、最後まで行動を共にしていたのもまた確かですよね~!文句言いつつもコーヒー淹れてくれるし。
ポルナレフの走馬灯にまで現れた、審判戦の話はこちらで…
花京院の「水筒を攻撃しろ」「ぼくだっていやだ!」の謎
最後にゲブ神戦の「水筒を攻撃しろ」「ぼくだっていやだ!」のくだりについて、ちょっと考察してみます。これ謎ですよね~…敵を前にしてふざけとる場合かーッ!とも言いたくなるこのシーン。
荒木飛呂彦(1991年)『ジョジョの奇妙な冒険』20巻 集英社(68-69頁)
ゲブ神の能力がわからない状況なので、花京院だってふざけている訳ではなさそうです。ただ怪しいスタンドを前にしての攻撃命令や「ぼくだっていやだ」には本心も入っているはず。でもなぜこんな台詞を…?
そこで問題だ!この状況で花京院はなぜこんなことを言ったのか?
3択―ひとつだけ選びなさい
答え①ハンサムのポルナレフに当たることで花京院の緊張感がほぐれると思った。
答え②本当にやってくれるかもと思ってとりあえず言ってみた。
答え③ポルナレフは頑丈なので攻撃されても大丈夫だと思った。花京院は非情である。
答え-③ 答え③ 答え③………ではなく、恐らく①かな~…まあどれもありそうっちゃありそうだけど。
そもそもこの状況ってかなり緊張感があるんですよね~アヴドゥルでさえ知らないスタンド使いが新たに9人やってくるという情報を与えられ、SPW財団の職員は死亡、ゲブ神のスタンドは謎だもんな~…アヴドゥルたちなんか滝汗かいてたし。
花京院たちだって未知の敵を前にした緊張感は感じていたはず。そんな状況を打開するためなのはもちろん、自分を安心させるためにも、高ぶった気持ちをポルナレフに押しつけるような形で「攻撃しろ」という命令が、そして敵の不気味さから「ぼくだっていや」という本音の言葉が出てしまったのかな~という気がします。
で、もし隣が承太郎だったらきっとこうはなっていないですよね~…もう少し冷静に話し合いでもしていそうですが、「ぼくだっていやだ!」はアヴドゥルが倒れれば涙ぐみ、腹が立てば怒り、時に肘鉄を食らわせると、自分の色々な面を晒してきたことにより、感情表現のハードルが下がっていたポルナレフだからこそ見せた花京院の本心なのかもしれません。
ということでゲブ神戦での「水筒を攻撃しろ」「ぼくだっていやだ!」発言は、花京院の不安や緊張の気持ちが入った一言だったのかもな~という気がします。そしてそんな台詞が出てきたのは、様々な感情を見せてきたポルナレフが相手だからこそではないでしょうか。
まとめ:花京院がポルナレフに厳しいのは性格、親近感、絆などの理由があるのでは
花京院からポルナレフへの態度について考察してみました。
ポルナレフに対してのみ明らかに厳しい言動の多い花京院でしたが、ポルナレフとの絆や肉の芽を埋められた同士の親近感、そして真逆な性格などが一因となっているのではないでしょうか。
でも仲間として認め合い、リスペクトしあえる部分がある2人のやり取りだからこそ、面白さがありますよね~!なんせピシガシグッグッの仲だもんな~!楽しそうで何より。
3部のネタはこちらもどうぞ~!