ジョジョの奇妙な冒険5部はキリスト教との関連が深く、ジョルノのチーム加入をきっかけに物語が大きく動き出しました。
組織を裏切る中で死亡者が出たブチャラティチームですが、彼らの最期は決して不幸には描かれませんでした。今回はジョルノは何者だったのか、過去に苦しんだメンバーたちは救済されたのか、キリスト教との関係から考察してみました。
1. ブチャラティの救済
まずはブチャラティについてです。この人はね~~~~ジョルノに救済された人でしたよね~!見てよ、昇天時の台詞…
ジョルノ……オレは…生き返ったんだ 故郷… ネアポリスでおまえと出会った時…組織を裏切った時…にな…ゆっくりと死んでいくだけだった…オレの心は生き返ったんだ……おまえのおかげでな………幸福というのはこういうことだ…………これでいい 気にするな……………みんなによろしくと言っておいてくれ…
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』63巻 集英社(42-43頁)
ジョルノのおかげで心が生き返り、幸福を感じたとのこと。出会えてよかったね~~~~!
で、生き返るきっかけの一つ目がネアポリスでの出会いだそう。麻薬を忌み嫌いながらも、それを取り扱う組織で働かざるを得ない矛盾を抱えていたブチャラティ。組織で働いている以上、麻薬の蔓延に加担しているわけで。そりゃ~~~~心も死ぬわな…
でもその心に抱える矛盾を言い当てられ、そんなボスを倒してパッショーネを乗っ取る!と言い出す人間が現れれば、嬉しいよね。麻薬ダメ絶対!と考える同志な上に、組織がクリーンになればブチャラティも心の苦しみから解放されるはず。「黄金のような『夢』」を持つ輝かしいジョルノはまさに救世主だよね…
そしてもうひとつは組織を裏切った時で、ディアボロのトリッシュへの仕打ちにブチギレた瞬間でした。プロフィールに「基本的な性格はやさしさで、父親の一途な家族愛によるもの」と書かれるほど家族愛を知るブチャラティだもんな~!プッツンするのも仕方あるまい。
でもねジョルノに会う前のブチャラティが同じ場面に遭遇したとして、組織を裏切ることができたかは微妙だよね…裏切り=死を意味するし、行き場もなくなるし。ディアボロを倒してボスになる夢を持つジョルノがいたからこそ、思い切った決断をして自分の流儀で生きることができたんでしょうね~!
長生きするでも金儲けするでもなく、心に正直に生きることを「幸福とはこういうこと」と表現したブチャラティ。ジョルノに出会ってからは、死んだように生きるのではなく、ゾンビ化しながらも生き生きと過ごした日々だったんだろうな…良かった…!
あんなにかっこいいのに、なぜか天然疑惑のあるブチャラティの話。

2. アバッキオの救済
目先の欲にとらわれ、自分の正義を曲げてしまった過去のあるアバッキオ。結果、職も夢も同僚もすべて失ってしまいました。そんな彼のプロフィールには「自分が必要とされる任務なら命を賭けることも惜しくない」「ギャングになっても心の底にあるのは警察官になったばかりの頃の『正義の心』」と書かれています。人間、やっぱり自分の流儀で生きたいんだよね…
でもね、必要とされれば一生懸命働くとは書かれているものの、ボートに乗る直前には自分の忠誠心と居場所についてこう話していました。
あんたのやった事は自殺に等しい事だぜ 世界中どこに逃げようともう あんたには「安息」の場所はない…そしてオレが忠誠を誓ったのは「組織」になんだ あんたに対し忠誠を誓ったわけじゃあねえ!
しかしだ…………オレももともとよォ~~~~~行く所や居場所なんてどこにもなかった男だ…この国の社会からはじき出されてよオ――――――――オレの落ちつける所は……………ブチャラティあんたといっしょの時だけだ…………荒木飛呂彦(1998年)『ジョジョの奇妙な冒険』56巻 集英社(115-116頁)
めちゃくちゃ口の悪いツンデレ。あんたよォ~~~~~ナイスガイじゃねえかよオ――――…
仕事として忠誠を誓うのは組織、でも本当に安心していられる場所はブチャラティチームとのこと。「巨大で絶対的な者が出す命令に従っている時は安心して行動できる」と語られたアバッキオですが、心の底から幸せと安心を感じられるのは強大なパッショーネに属することよりも、ブチャラティといる時なんでしょうね~…
そんなアバッキオをここまで惹きつけたのは、優しい人柄はもちろん、ブチャラティもまた正義の心を持っていたからではないでしょうか。アバッキオがどこまでブチャラティの身の上話や、心に抱えた矛盾を知っていたのかは不明です。が、あそこまでブチャラティを大事にしているところを見るに、麻薬、パッショーネへの怒りや無力感には気づいていたんじゃないかな…
その上司についていくためにボートに乗る決断をしたことは、アバッキオが救済される大きな一歩だったはず。「家族や子供を大切にする気高く優しいブチャラティ>麻薬を扱う組織」という価値観が明確になり、損得勘定よりも正義感に従って自分らしく生き抜く覚悟ができたんだもんね…!
そして最後の仕事となったのがボスの顔を明かすこと。リプレイ中に致命傷を負ってしまいますが、デスマスクだけは絶~~~~~対に完成させたかったんじゃないかな~…「ブチャラティらのため」「正義のため」「自分にしかできない」と三拍子そろった仕事だからね~!
旅立ちの顔の穏やかさは、彼なりにやり切った証だったはず。誇りを持って任務を完了させた時、アバッキオは背負い続けた十字架から解放され救済されたのではないでしょうか。バスの終点では同僚も迎えてくれたしね…!

3. ナランチャの救済
ナランチャはね~居場所が欲しかった人でしたよね~…父ちゃん無関心、友達の裏切りと次々と居場所が消えたんだもんね~…そんなナランチャは手を差し伸べてくれたブチャラティがかっこよすぎたせいで、結局ギャング入りしてしまいます。もうここしかねえ!この人しかいねえ!誰かを信頼してぇんだ~~~!という気持ちが伝わってきますね~!
ナランチャの死はディアボロの攻撃により突然訪れます。非業の死ではありますが、仲間に囲まれながらの最期は、居場所が欲しかった彼にとってある意味理想だったんじゃないかな~…死亡直後には「もう誰も君を傷つけたりはしないように」と花を手向けられ、「故郷に連れて帰る」を声をかけられたのも救いだったのかもしれないよね。聴覚は死後も残るとよく言われるし…!
またナランチャの死の直前の言葉にも注目してみると…
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社(71頁)
この表情にどれだけ今までの苦労が伺えることか…「やっと終わる」という達成感、未来への希望、浮足立つ心など様々な感情があふれています。なんせ「学校に行って頭悪いとバカにされるのもいいかも」と、学校に行っていないコンプレックスを卑下されることすら楽しみにできたんだもんね~!任務を果たせることを心から誇りに思ったからこその言葉じゃないかな~…
居場所のなかったナランチャが「男っていうのはああいう人のために働くものだ」とほれ込んだヒーローのために勇気を出し、ボートに乗って戦えたことは、心の救済となったはず。志半ばの無念の死ではありますが、生き様としては超かっこいいよね…!

4. キリスト教の観点から考えるジョルノと救済の関係
今度はキリスト教的な観点から、ジョルノと救済の関係を考察してみます。まず注目したいのがタイトルの「黄金の風」。キリスト教で黄金は、イエスの誕生時に東方の三博士が捧げた贈り物のひとつで「王」を象徴します。つまりタイトルからジョルノが王=パッショーネのボスになることが暗示されていたんですね~!
さらにディアボロ戦でジョルノが矢を掴む話のタイトルは「王の中の王」。パッショーネの王ディアボロよりも、矢を掴んだジョルノがより上の王になる内容にドンピシャです。キリスト教で「王」や「王の中の王」は神の子キリストを表す言葉。ジョルノはDIO(=神)の子なので、キリストをイメージした人物だったことも伺えますよね~!62巻表紙のジョルノもミケランジェロの作品『最後の審判』のキリストのオマージュだしね。
また物語においてもジョルノはキリストのように、チームの救世主的なポジションでした。バトルの戦略面ではもちろん、ブチャラティの心を生き返らせたことで、アバッキオ、ナランチャの救済へと繋がったんだもんね…!名前、働き、タイトルなど様々な観点から見ても、やはりジョルノは救世主キリストのような存在と言えるのではないでしょうか。

5. パッショーネの王ディアボロが救済されず受難を受ける皮肉
最後にパッショーネについても少しだけ…パッショーネは受難を意味する単語です。キリスト教で受難は使徒ユダの裏切りによりキリストが捕縛されてから、十字架にかけられ処刑されるまでの苦しみのことを指します。
で、キリスト教で王はキリストを表す言葉ですが、パッショーネの王として君臨していたのがディアボロで、彼自身も自らを王と認識していました。自称「帝王」とか、キング・クリムゾンというスタンド名とかね。そんな王ディアボロが部下ジョルノたちに裏切られ、無間地獄の制裁に苦しめられる一連の流れは、キリストの受難にそっくりでは…!?
しかも受難を受けるところで終わってしまったのがディアボロの辛いところ。磔刑に処されたキリストは死後3日目に復活を果たしますが、ボスは今日もどこかで死を待っています。

まとめ:5部のテーマのひとつはブチャラティチームの救世主ジョルノによる救済では
5部について救済という観点から考えてみました。
イエス・キリストのように救世主のように現れ、ブチャラティらの心を救っていたジョルノ。キリスト教との関連が深い5部において、救済が大きなテーマであることが伺えるのではないでしょうか。
パッショーネとの関係も面白いですよね~!王の座ははく奪されるわ、受難のような苦しみを受けるわと散々だったディアボロ先生ですが、キリスト教的な観点で見るとなんともよくできた流れというか…荒木先生がかなり作り込んだ設定なんだろうな…!
5部の話はこんなのもあります


