ジョジョの奇妙な冒険4部に登場した重ちーこと矢安宮重清。ぶどうヶ丘中学校の生徒で仗助らと交流があった人物でした。
独特なキャラクターと死亡シーンが印象的でしたが、今回は重ちーの死がなぜかわいそうと感じてしまうのか言語化してみました。
1. 衝撃的だった重ちーの死亡シーン
まずは死亡シーンについてです。吉良の攻撃を受けた重ちーは脳みそと顔がシェイクされ、ドアノブの爆弾によって顔に亀裂が入り、跡形もなく死亡。あまりにショッキングなダメージの受け方でしたよね…昇天シーンだってこれだもの…
荒木飛呂彦(1994年)『ジョジョの奇妙な冒険』37巻 集英社(112頁)
言葉にならない声を上げ、体はバラバラになりながら空に昇っていく重ちー。暗黒空間に飲み込まれたアヴドゥルなど、衝撃的な死を迎えても昇天シーンは安らかなジョジョにおいて、圧倒的なむごさではないでしょうか。鈴美ちゃんのように体があるまま彷徨うことすらできないんだろうな…
ほかにも仗助らと別れた後の5分間で死亡という展開、仗助の名前を叫ぶ断末魔など、あまりにインパクトが大きかった重ちーの最期。吉良の恐ろしさが十二分に伝わる流れでしたが、あの描写だからこそ思わずかわいそうと思ってしまうのかもしれません。

2. 死亡シーンをかわいそうと思ってしまう重ちーのキャラクター性
次に重ちーのキャラクターから考えてみます。マイペースでどこか憎めない性格で、吉良とぶつかった際には礼儀正しさも見せていましたよね~!
荒木飛呂彦(1994年)『ジョジョの奇妙な冒険』37巻 集英社(32頁)
お辞儀までするあたり、どこか育ちが良さそうな重清くん。金が絡むとセコくなる上に、仗助たちを殺しかねないほどの大ダメージを与えていましたが、吉良やディアボロのような根っからのヒーラーではありませんでした。それどころか素直で欲望に正直な様子からは、純粋ささえ感じるところ。そんな絶妙なキャラクターが、死亡シーンの悲しみに繋がっているのではないでしょうか。
でも他の憎めないキャラクターが死亡したとしても、重ちーほどショッキングなシーンにはならないのでは?とも思うところ。例えば4部では玉美もそのひとりですが、玉美が殺されても重ちーほど悲しくはならない気がするよね。玉美、なんかごめん。
それは玉美が仗助たちよりも年上だった一方、重ちーは明らかな年下として描かれていたからではないでしょうか。年齢的にはもちろん、社会性や人生経験なども仗助たちの方が一回り上のイメージでしたよね~!仗助が「ムカつくけど放っとけねーやつ」と語ったように、まだ幼さを感じる少年がむごい最期を迎えるというのは、やっぱり悲しいよね。
しかもジョジョでは年下キャラの死亡シーンは少ないようで…ポコ、川尻早人、エンポリオなどのように、勇気を振り絞って活躍し、生き残るパターンも多いところ。それらと比べてしまうと、なおさら無慈悲な最期に見えるのではないでしょうか。なんせマニッシュ・ボーイだって赤ん坊という理由で許された世界だからな(なおう○こ)
ということで重ちーは欲望のままに行動してしまう正直さ、幼さがあるからこそ、なにも死ななくてもいいでは…という気持ちになってしまうのではないでしょうか。両親を愛し、友人を愛し、お金のことで一生懸命のただの若者だったんだもんな~…玉美ではこうはならん。玉美、やっぱりごめん。

3. 吉良事件に巻き込まれたゆえにかわいそうだった重ちーの死亡シーン
最後に重ちーと吉良の対戦までの流れを振り返ってみます。お昼ご飯をサンジェルマンで買い、仗助たちに金を貸し、サンドイッチを犬に食べられ…といった流れでうっかり吉良と出会ってしまった重ちー。吉良の情報は耳に入れていたものの、仗助らのように殺人鬼から町を守るという使命感に燃えていたわけではなかったはずです。
そんな吉良とは無縁だった少年が、偶然が重なったために犠牲になってしまったところがなんとも悲しいですよね~…仗助たちが銀行に行っていれば、犬がいなければ…など少し運命がズレていれば生きていたかも…と思えてしまうのがあまりに切ないのではないでしょうか。スタンド使いは引かれあうとはいえ、吉良と出会わずに過ごせた住民もいた町だもんな~…

死亡シーン直前の重ちーが見せた黄金の精神
そんな重ちーの中でも印象的だったのが、吉良戦で両親を守る決意を見せるシーンです。吉良の1発目の爆弾のダメージを受けた後は、「何をされたのか?」「誰か助けてくれ」と状況がわからず、周囲に助けを求めていました。ところがその直後、吉良に「杜王町にいるスタンド使いの名前を言わなければ、両親を始末する」と脅されると…
荒木飛呂彦(1994年)『ジョジョの奇妙な冒険』37巻 集英社(91頁)
スタンド使いの名前を白状しなかった上に、吉良に立ち向かう態度を見せた重ちー。初登場時に見せたセコく自分本位な性格であれば、自分の命を優先しても不思議ではありません。でも彼は両親と町という他人を守る決意を胸に、仗助のもとに向かったんですよね~…
じょ…『仗助』の…ところへ…行…く…ど 『仗助』の…『クレイジーD』なら…オラを…治してもらえるど…行かな………くては!そし…て…オ……………ラは オッ オラは………『パパ』と『ママ』を……………守るど!(中略)あんなうすらけがらわしいヤツがッ…………『パパとママ』が住むこの町にいてはならないどッ!!
荒木飛呂彦(1994年)『ジョジョの奇妙な冒険』37巻 集英社(95-97頁)
仗助や承太郎のようなスペシャルなタイプではなく、町を守る使命感とも無縁でいられたかもしれない。そんな重ちーが瀕死の重傷を負いながらも大事な人のために、理解不能すぎる殺人鬼に立ち向かっていったのは、まさに黄金の精神や人間賛歌の描写ではないでしょうか。こんな勇気を持てる人、そうそういないのでは…?
誰よりも得をしてやる!と損得勘定第一で動いていた姿と、両親を救おうとする勇敢さを見せた最期。そのギャップが重ちーの死亡シーンを印象深くしているような気がします。しかも「パパとママ」という中学生男子らしくない両親の呼び方からは、溺愛されていたことも想像できますよね~…その両親は今も息子の帰りを待ち続けていると思うと、やっぱり悲しい結末だよな~…
老いてもなお黄金の精神を見せたカッピョイイ~~~ジジイの話

まとめ:重ちーの死亡シーンがかわいそうなのはキャラクター、むごさ、黄金の精神ゆえでは
重ちーの死亡シーンについて考察してみました。死のむごさ、死に際に見せた黄金の精神が彼の最期を印象深くしているのは、間違いなさそうです。
荒木先生も泣きながら退場させたと語るほど、作者にも愛された重ちー。あの絶妙なキャラクターだからこそ、死亡シーンはジョジョファンの心に深く刻まれているんでしょうね~!あとはアニメ版の山口勝平さんの演技力ね。これも絶対でかいよな~~~~!!!!









