ウンガロ、ヴェルサス戦と6部のテーマについて考察してみた

ジョジョコラム

ジョジョの奇妙な冒険6部で登場したウンガロとヴェルサス。それぞれボヘミアン・ラプソディーとヴェルサスのアンダー・ワールドの使い手でした。

どちらも非常に強力なスタンド能力ですが、この2人と徐倫たちとの戦いは6部のテーマにどのように関連しているのでしょうか。今回は戦いの意味やメッセージを考察してみました。

※6部のネタバレが一部あります!


1. ウンガロとヴェルサスのスタンド能力と、運命について

まずは2人のスタンド能力と運命について考えてみます。ウンガロのボヘミアン・ラプソディーは、アニメや絵画などのキャラクターを現実世界に実在させることが出来るスタンドでした。物語の中に相手を引き込んで、そのストーリー通りの結末を辿らせる能力です。そしてアンダー・ワールドは、地面が持つ記憶を掘り出して、その通りに再現させる力を持っていました。

で、この2人のスタンド能力を比較すると、「相手を決められた結末に向かわせる」という点ではほぼ同じなんですよね~!ボヘミアン・ラプソディーではウェザー・リポートがゴッホの人生通りに、アンダー・ワールドでは徐倫とエルメェスが過去の飛行機事故通りの結末を辿らされそうになります。


そして自分の結末が決まっているといえば、プッチが目指した一巡後の世界とも似た世界観です。


荒木飛呂彦(2003年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』17巻 集英社(220頁)

運命からは逃れられないけれど、覚悟を持ってそれを受け入れようね~というのとそっくり!つまりこの3人のスタンドや精神性ってすごく似ているんですよね~!

プッチは運命を受け入れれば幸せになれると考えていました。でもそれは本当に幸せな世界なのか、誰もが覚悟を持って過ごすことが出来るのか…荒木先生は、運命通りに事が運んでしまうウンガロとヴェルサス戦を通して、それを問いかけていたのかもしれません。

ボヘミアン・ラプソディ―については、こちらもどうぞ~!

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ウンガロ、ヴェルサス戦と5部の「眠れる奴隷」の比較

さて、決定されている運命に抗う…という話で思い出されるのが、5部の「眠れる奴隷」です。ブチャラティが死亡する運命を変えようとミスタが奮闘する話で、「結果より過程を大切にする」という5部のメッセージを象徴するエピソードでした。

このミスタの様子は、ウンガロ、ヴェルサス戦で決まった運命から逃れようと足掻く徐倫たちの姿を思い起こさせます。プッチも徐倫については、こんなことを言っていたし…


荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』14巻 集英社(105頁)

やかましい!うっとおしいぞこの神父!3部承太郎ならブチギレ案件。

プッチはさておき、とにかく運命に身を任せるのではなく、抗ってくるのがジョジョの主人公サイドあるあるなんですよね~!

4部のバイツァ・ダストなど、「運命」や「過程と結果」は、ジョジョを通して繰り返し登場するテーマです。ジョジョの中でも重要なテーマのひとつですが、6部ではプッチの思想に加え、ウンガロ、ヴェルサス戦がそれを描いたエピソードだったのではないでしょうか。

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2. 愛をもらえなかったウンガロとヴェルサス

次に「愛」という点から考察してみます。親子愛、姉妹愛、恋愛のストーリーに加え、「愛と復讐のキッス」のようなタイトルやアオリなど、6部は愛が重要なテーマであることが伺えました。ではウンガロとヴェルサスは、愛とどのように関わってきたのでしょうか。

ウンガロの人生

まずウンガロは父親はDIO、母親は「DIOの餌だった女性」。「餌だった」という表現から、死亡していそう…だから両親ともに不在だったのかもしれません。そしてスタンド能力を操れるようになると、こんなことを言っていました。


荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』13巻 集英社(28頁)

出会ったばかりのプッチに命をかけるなんて…しかも薬物とも手を切ろうとしています。すごい決意だ…


でもなぜここまで強い決意を胸にしたのか。恐らくプッチのこの言葉が理由ではないでしょうか。

荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』12巻 集英社(83頁)

社会を転がり落ちてきたウンガロですが、この言葉で自分も何かの役に立てるのでは…と思えたのかもしれません。さらにプッチの引力で引き寄せられて、スタンド能力を操れるようになったので、「プッチ神父最高だぜ~!」となる訳です。

過去があまり語られなかったものの、実親からの愛をもらえず、社会にも上手くなじめなかったであろうウンガロ。でもプッチとの出会いをきっかけに生きがいを見つけたところを見るに、誰かに手を差し伸べてもらいたかったり、必要とされたかったのかもしれません。だからもっと愛をもらえていたなら、こんな人格じゃなかったりして…

ヴェルサスの人生

次にヴェルサスについても考えてみます。両親に可愛がられていなかったヴェルサス。家出をすれば、証拠もないのにスパイクを盗んだ罪に問われたり…と家庭でも社会でも親身になってくれる人がいなかったようです。さらに徐倫・エルメェス戦では、傍観しているばかりのプッチにこんなことを言っていました。

荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』14巻 集英社(94頁)

ヴェルサス、やっぱりプンスカ!わかる…この時のプッチうるさいもんね…

で、「判事に見えてきた」といら立っていたのは、プッチが判事と同じように自分のことを理解しようとせず、全く味方をしてくれないことに怒りが湧いたからではないでしょうか。やっぱり愛が足りなかったんだ…

荒木先生にも「幸せになって欲しい」なんて言われていたヴェルサス。不幸と運のなさと中途半端にスタンド能力が開花したせいで、苦労の多い人生を送っていました。でもどこかで親身になってくれる人間に出会っていれば、もっと違う人生だったのかもしれません。

でも最後に出会ったプッチもイマイチ信頼できず、結局誰からの愛も受け取れなかったんだろうな…人生ハードモードだ…


愛で引きつけられた徐倫たちとウンガロ、ヴェルサスの比較

今度は徐倫たちと、ウンガロとヴェルサスがそれぞれ引き寄せられたことについて、愛をテーマに考察してみます。

6部の最終話のアオリは「引力、即ち愛!!」で、主人公サイドが再集結するエピソードで終わります。これがアオリ通り「引力、即ち愛!!」なのであれば、彼らは互いの間に芽生えた友情や愛情によって引き寄せられたと解釈できるのではないでしょうか。

一方でDIOの息子たちは、天国に行こうとするプッチに引き寄せられていました。運命に引き寄せられて集まった…というところですが、ざっくり言えばプッチに利用されるための集合であり、愛による集合とは違うように見えます。だってプッチが彼らに愛を持って接していたようには見えないし…ほら…

荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』14巻 集英社(143頁)

ドイヒ~~~~!!!!いくらヴェルサスが裏切ろうとしているからって、本当に愛があったならこんなこと言わないよね~!というお言葉。めちゃくちゃ下に見てるもんな…しかも顔もあの判事にちょっと似てるし。



でも「引力、即ち愛」なのであれば、実親や社会からの愛を知らずに育ったDIOの息子たちは、愛を求めて引き寄せられたのかもしれません。それこそ神父であるプッチに隣人愛の教えを求めていたりとかね…プッチだってDIOの言葉を信頼して、教会にいることを許した優しさくらいはあった訳だし…

ただ愛で引き寄せられたとしても、徐倫たちとの違うのは、「愛が欲しい!」というだけで相思相愛の関係ではないことなんだよな~!だから両者とも愛による引力が働いた集合だったとしても、その重みが違うと言えるのかもしれません。

互いの愛に引き寄せられて集まった主人公サイドのキャラクターたち。それはプッチから発せられる引力とは、きっと違うものです。でももしウンガロやヴェルサスが引力=愛を通じて集まっていたとしたら、それはプッチとの関係に生まれた愛ではなく、愛を欲して集まっていたとも考えられるのではないでしょうか。

なぜジョルノはプッチに引き寄せられなかったのか

最後にジョルノがプッチに引き寄せられなかった理由についてです。恵まれない人生を送ってきたDIOの息子たち3人が、愛を求めてプッチに引き寄せられたとしたら、なぜジョルノはプッチの元に駆けつけなかったのか。プッチの元に来ていたかは謎…とぼかされていたジョルノですが、今回は来ていなかったとして考察してみます。

来なかった理由として考えられそうなのが、ジョルノは3人ほど愛を欲していなかったからではないかな~ということです。

他の息子たちと同じく、ジョルノも両親からの愛を存分に受けていた訳ではありません。それでもギャングと出会って人生が変わり、5部を通じて夢を叶え、新たな自分の居場所や仲間を作っていきました。3人に比べて満たされているようですが、だからこそジョルノはプッチのところに来なかったのかもしれません。別にプッチの愛なんかいらないもんな…

しかも人生を悲観していないので、人としてのひねくれ具合や輝き具合も違うし…見れこれ…

荒木飛呂彦(1996年)『ジョジョの奇妙な冒険』47巻 集英社(161頁)

ひぇ~~~~!まぶしい~~~~~!!!!こんなオーラ、他の息子たちにはないのよ…だって人生どん底なんだもの…

手を差し伸べたギャングなど、ジョルノは人との出会いに恵まれたのは確かです。でもジョルノは本人の努力もあって、この輝きを手に入れたはず。だからもはや他人に愛を恵んでもらおう!という発想自体がないため、プッチの元に愛を求めてやってこなかったのではないでしょうか。



まとめ:ウンガロ、ヴェルサス戦は6部のテーマの「運命」「愛」を問いかける戦いだった

ウンガロ、ヴェルサス戦と6部のテーマを考えてみました。

2人のスタンドは、プッチが目指した自分の未来に覚悟を持って生きる世界を体現したような能力です。でもそれは本当に良い世界と言えるのか…そんな問いかけをするような戦いだったのかもしれません。

そして愛に恵まれずに育った2人ですが、プッチとの出会いにより人生が変わり始めました。しかしプッチとの間に、主人公サイドのような愛のある関係性は見られないようです。それでもずっと愛を求めてきた気持ちが、プッチの元に集まった引力となっていたのかもしれません。

しかしプッチはなんでヴェルサスに口うるさかったんだろうな~!内心、焦ってたのかな…素数でも数えてたら良かったのに…

6部についてはこちらの記事もどうぞ~!

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