ジョジョの奇妙な冒険5部のアニメ版では、後期に変化のあるエンディングの演出がありました。
今回は後期エンディングの意味について、キリスト教からの視点を中心に考察してみます。
ジョジョのキリスト教ネタいろいろ



1. 最終エンディング前までのキリスト教的な意味
5部後期のエンディングは回を重ねるごとに少しずつ映像が変化していきますが、まずは最終エンディング前までの演出と意味について考えてみます。柱の最上部にいるのはジョルノのゴールド・エクスペリエンスでした。
津田尚克総監督.ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 Vol.10. ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント,2019(Blu-ray)
手のポーズは62巻表紙のジョルノと同じですね~!
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社
このジョルノはミケランジェロの「最後の審判」のキリストのオマージュだそう。中央に鎮座しているのがキリストね。
ミケランジェロ・ブオナローティ- See below., パブリック・ドメイン, リンクによる
「最後の審判」ではキリストが死者に裁きを下しており、天国か地獄かの行き先を決めています。上に向かっていく人は天国行き、下に落ちていく人が地獄行きで、向かって右下には地獄の入口が…!
そんな絵画が元ネタなので、ゴールド・エクスペリエンスの本体のジョルノもまた、他のキャラクターたちの行き先を決める重要人物であるという表現に見えるのではないでしょうか。ジョルノとの出会いで安らかに昇天した人もいれば、地獄に落とされた人もいたもんね~!
またキリストの下にいる人々は地獄に向かっていくという観点から見ると、ゴールド・エクスペリエンスより下に位置するスタンドたちも全員、地獄行きのように感じられます。でもたしかに5部のキャラクターは破滅に向かっていた人が多かったですよね~…禁じ手に手を染めていたディアボロ、心を殺して働いていたブチャラティ、冷遇されていた暗殺チームとかね。
多くの人物が地獄を見る中で始まった5部で、救世主のように現れたジョルノ。ゴールド・エクスペリエンスの下に全スタンドが並んでいるのは、そんな状況が表現されているのかもしれません。

2. 最終エンディングでのキリスト教的な意味
次に最終エンディングについてです。流れは同じですが、最底辺にはローリング・ストーンのブチャラティがいましたね~!石のブチャラティが基礎にいる柱はスタンドだらけの大渋滞でしたが、こちらは全員が「運命の奴隷」として自由に身動きをとることができない姿にも見えます。
最上部にはゴールド・エクスペリエンス・レクイエムが登場し、両手を広げるポーズに変化していました。
津田尚克総監督.ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 Vol.10. ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント,2019(Blu-ray)
キリスト教美術において両手を広げるポーズは、キリストが人々を受け入れたり、癒しや愛、救いを与える姿勢とされています。とすれば地獄に向かっていくかのようだったスタンドたちが、最終エンディングではジョルノによって救われたという表現なのかもしれないよね。
例えばジョルノらからトリッシュを奪うために団結し、必死に戦った暗殺チームだって、冷遇されていただけの頃よりも生き生きとしていました。矢の継承者であるジョルノらに会えたポルナレフもまた、「この瞬間を長年待ったぜッ!」なんて思っていたはず。死亡という結末を迎えても、ジョルノの登場で多くの人間の魂が輝いたんじゃないかな~…
じゃあさじゃあさ、ポルポやディアボロのように制裁を加えられただけのキャラクターは?というのも気になるところ。たしかに彼らはジョルノによって救済されたのでも魂が輝いたわけでもありません。それでも全スタンドが登場するのは、キリストは善人悪人に関わらず、等しく愛を与えるという姿勢が表れているのではないでしょうか。
考えるほどにキリスト教との関係が深そうなこのエンディング。シンプルなだけに想像力が掻き立てられますよね~!いろいろな解釈ができそうだよな~!

3. 5部エンディングのキリスト教美術的な意味
今度は美術的な観点から考察してみます。柱にはスタンド、最上部にゴールド・エクスペリエンスというシンプルな構成だったこのエンディング。柱の上部にキリストという作品は、世界各国で時々見られます。こちらはポルトガルのファティマ大聖堂にあるキリスト像。色がゴールドというところもなんだかそっくりでは…?

柱周りがスタンドだらけというのは、イタリアのローマにある「トラヤヌスの記念柱」に刻まれたレリーフを連想できそうです。セッコ戦が行われたヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の近くにあり、レリーフに登場する人々はなんと約2500人!
By Livioandronico2013 - Own work, CC BY-SA 4.0, Link
スタンドが縦長に描かれた構図という点では、「エッサイの木」の図像も元ネタとして挙げられそうですよね~!「エッサイの木」とはイエス・キリストの家系図で、ダビデ王の父エッサイからイエス・キリストへの系譜が表現されます。こちらはフランスのボーヴェのサンテティエンヌ教会のもので、縦に配置された登場人物や最上部のゴールド・エクスペリエンス周りの光の表現が似ています。
By Engrand Leprince - Book "Stained Glass: An Illustrated History" by Sarah Brown, Public Domain, Link
フランスのシャルトル大聖堂はより縦長の構図。けっこう5部エンディングに近いイメージでは…?
By Photograph: TTaylor - Window: Unknown - Own work, Public Domain, Link
最上部のキリストの下には聖母マリアがおり、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの下に、女性であるトリッシュのスパイス・ガールがいたことを思い出します。
そのスパイス・ガールは、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムに向かって「手を伸ばし」「指をさす」姿でした。キリスト教絵画で「指をさす」のはキリストの到来を示すので、救世主ジョルノの到来の意味ががあるのかもしれません。このポーズ、キラー・クイーンのジョジョ立ちの元ネタであるダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」でもおなじみですよね~!
「手を伸ばし」から連想できるのは、キリストが苦しみを抱える人を癒するために手を伸ばさせたという話です。
イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
新共同訳(1997年)『聖書』「マルコによる福音書」日本聖書協会
もし手を伸ばすポーズの元ネタがこの話なら、トリッシュがジョルノに救済を求める姿がイメージされているのかもしれないよね。でも助けを求めたくなる気持ちもわかる気がするよね、見てよこれ。
荒木飛呂彦(2001年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』6巻 集英社(50頁)
左にワキガ、右にパパ。なにこのサンドイッチ…
ミスタはさておき、パパはやだよね~~~~!そりゃ~助けてくれ~~~!って思うよな~…

5部エンディングの紙吹雪、星、色のキリスト教的な意味
最後にその他の演出について少しだけ触れてみます。まずエンディング全体では上から紙吹雪が降ってくるような演出がされていました。こちらはキリスト教の「神による祝福が降ってくる」という表現の仕方が元ネタではないでしょうか。最上部に近づくにつれてきらきらと輝く星が増えていくのは、キリストのオマージュであるジョルノの神々しさを表しているかのようです。
スタンドたちにはピンク、緑、青などの光が当たり、カラフルな色はまるで虹のよう。キリスト教で虹は神がこの世を祝福するという契約(約束のようなイメージね)の印とされるので、5部を通じてこの世が美しく彩られ、祝福(=愛や幸福など)であふれていくという意味があるのかもしれません。テーマ曲であるEnigmaの「Modern Crusaders」の歌詞にも「All the pain turns into love(全ての痛みは愛へと変わる)」とあるしね。

まとめ:ジョジョ5部エンディングはキリスト教関係の意味が数多く含まれているのでは
5部後期のエンディングについて考察してみました。キリスト教の視点から見ると、小ネタだらけの映像に見えますよね~!ジョルノとキリストとの関係はもちろん、全スタンドの登場や光輝く表現にも意味があるように感じられるのでは…?
ジョジョでは数多くのキリスト教関係の話が登場しますが、ジョルノや美術ネタなど様々なところで強い関連が見られた5部。後期エンディングはそんな部らしい映像だったのではないでしょうか。
















