ジョジョの奇妙な冒険5部に登場するディアボロ。ラスボスであり、ジョルノらに成敗されていました。
死ぬことができない地獄に堕とされたディアボロでしたが、その最期はかわいそうだったのでしょうか。その所業やキリスト教的な観点から考察してみました。
1. ジョジョの世界のルールから見たディアボロの悪さ
まずはジョジョで描かれる価値観から、ディアボロの悪さを考えてみます。さて承太郎が「『悪』とは自分のためだけに弱者を踏みつけるやつのこと」と話していたように、ジョジョの世界では無関係な人間を巻き込んでまで利益を追求することは悪と判定されます。ドス黒い悪のプッチとかね。
その価値観で見れば、ディアボロは悪で間違いありません。金のために若者を利用し、ギャングではないトリッシュに手をかけていたし…母親を監禁し、神父の殺害も疑われるドッピオを含めればなおさらです。だから主人公サイドに成敗されるのは、ジョジョのルールとして妥当なのではないでしょうか。
ただDIOの消滅、プッチのラッシュ、ヴァレンタイン大統領の無限地獄の後に銃撃など、歴代ラスボスの幕切れと比較してもかなりキツい最期ですよね~…というか1番やだな~…その点ではかわいそうなのかもしれません。
2. 所業の悪さから見るディアボロのかわいそうさ
ディアボロの所業についてもう少し考えてみます。娘の殺害未遂に麻薬…と一般論では許され難い悪事を働いていたディアボロ。でもね~~~娘はまだしも麻薬はビジネスだからね~…アニメ版でフーゴが「僕らの仕事は所詮汚れ仕事」と述べていたように、ギャングである以上クリーンに生きること自体無理なんですよね~…ブチャラティチームだって拷問や盗みを働いていたし…
ブチャラティは入団時に「麻薬を扱うことは禁じ手」と知らされていたそうですが、それも本気だったのか不明です。パッショーネにクリーンなイメージをつけるために、表向きには麻薬ダメ絶対としているだけで、麻薬チームなど一部の団員のみで機密に扱おうとしていた可能性もありそう。
だから裏社会で生きるギャングである以上、ディアボロだけが悪ではないんですよね~…ブチャラティらも裏社会の人間で、パッショーネにいる以上ディアボロに加担していることになるし。ただブチャラティは麻薬もトリッシュの護衛目的も嘘をつかれていた訳でしょ~?上司に騙されたらそりゃ~~~~怒るよな~!しかも2件ともブチャラティのトラウマ案件だし。
だからブチャラティに裏切られ、反逆を企てられること自体仕方がないのではないでしょうか。しかもギャングの抗争である以上、その結末が残酷なのは当たり前ですよね~…死よりもエグい方法を選ぶことだって、不自然ではないはずです。だからディアボロの最期は厳しいものではあるものの、自業自得とも言えるのではないでしょうか。
麻薬を扱うディアボロが迎えた最期の皮肉
今度はディアボロの最期と麻薬との関係に注目してみます。ディアボロが捌いていたのは恐らく依存性の高い薬物で、顧客は継続的に購入、使用していたと思われます。犠牲となった若者の中には、やめるにやめられず死亡した人も数多くいたはずです。
そんなディアボロへの最期は、何度も死に際を体験し、たとえ死ぬことを願っても叶わないというもの。まさにやめるにやめられない状態に陥った訳です。皮肉だね~~~~!!!死ぬよりもキツイ結末だったのは、依存性のある麻薬を扱っていたからこそだったのかもしれません。その点ではかわいそうというより、納得の最期ではないでしょうか。ドンマイ、ボス。
軽率だったディアボロの行動が招いた最期
あとね~ディアボロのやり方も甘かったんですよね~~~~…石橋を叩きまくって渡るタイプのディアボロですが、ブチャラティチーム離反のきっかけとなったのが、ブチャラティの目の前で娘の手首を切り取ったことでした。エレベーターを降りた後でも良かったじゃんね…
もし意図的にブチャラティに見せつけたとすれば、ここで始末できるという自信があったからではないでしょうか。実際、致命傷を負ったしね。
ただトリッシュの手首を切り取ったことは、家族が犠牲になった過去を持つブチャラティの価値観に喧嘩をふっかけること。怒りを買ってしまった以上、何をされても仕方がないし、ブチャラティを慕ったジョルノからきつ~~~いお仕置きだって食らうよね~…ディアボロ先生、時々自信満々になっちゃうからな~!
3. ポルナレフの行動原理から見るディアボロのかわいそうさ
次にポルナレフとディアボロを比較してみます。ポルナレフがディアボロと敵対するきっかけとなったのは、フランスの若者の死亡者が増えていることでした。それは大事な故郷で、シェリーと年の変わらぬ若者に犠牲になって欲しくないという気持ちがあったからこそのはずです。だからポルナレフの行動原理は愛なのだと思います。
一方ディアボロの愛情表現って描かれないんですよね~!トリッシュへの愛もなく、ドナテラとのお付き合い中なんて偽名でしょ~?暗殺チームには不満が出るほどの薄給しか与えず、慕われていたペリーコロには自殺させたあたり大事には思っていないよね~…ドッピオのことは可愛がっていましたが、あれ自分だからな。
ディアボロは他人に愛情を与えられず、受け取る能力も低いゆえに、他人を信頼する能力に欠けているのだと思います。それは本人の素質だけではなく、生い立ちも大きく影響しているはずです。神父さんが親身になってはいましたが、家族不在で、周囲には臆病でどんくさいと評され…彼なりに辛い思いをした上に、人間として絶対に得るべき愛が欠けていたのではないでしょうか。
だから生い立ちがかわいそうではあるんですよね~…富や名声より愛だぜ~!がポルナレフなら、愛よりも永遠の絶頂だぜ~!(というか愛よくわかんないし)がディアボロというか…ポルナレフを含め辛い過去を背負いながらも正義の心を持っていたのがジョルノたちであるなら、過去の呪縛から抜け出せずに闇にハマってしまったのがディアボロなのかもしれません。
でもDIOと同じく手を差し伸べた人物に手をかけたことが、運の尽きなんでしょうね~…ジョジョ界では絶対アウトだもんね、そりゃ~最期もああなるわ…
4. ディアボロの最期とキリスト教との関連
最後にディアボロの死に方についてです。ジョルノにより死にたどり着けない状態にされていましたが、ここではキリスト教との関連から見ていきます。
さて5部ではキリスト教を基にした様々なシーンがありましたが、聖書には地獄についてこんな描写があります。
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。(中略) 』(中略)こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
日本聖書協会(1987年)『聖書 新共同訳』日本聖書協会((新)51頁)
悪魔が永遠の罰を受けるってまさにディアボロ(=イタリア語で「悪魔」の意味)じゃんね~…
またキリスト教には、イエス・キリストが人類を裁いて天国と地獄に行く者を決める「最後の審判」があります。美術作品ではヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれた、ミケランジェロの「最後の審判」が有名です。
ミケランジェロ・ブオナローティ- See below., パブリック・ドメイン, リンクによる
中央にいる人物がキリストですが、こちらがオマージュされたのが62巻表紙のジョルノでした。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社
ポーズや布だけをまとった姿が似ていますね~!つまりディアボロの最期は、ジョルノによる裁きで永遠の罰を受ける地獄に堕ちたという「最後の審判」の比喩表現だったのかもしれません。かわいそうな最期ではありますが、キリスト教の描写が多い5部らしい結末ではないでしょうか。
まとめ:ディアボロの最期はかわいそうではあるが、妥当性もある
ディアボロの最期について考察してみました。
残酷な最期を迎えたディアボロですが、ブチャラティの沸点、ギャングの抗争、キリスト教的な観点など様々な観点から見ると、納得の一面もあるのではないでしょうか。
ただ生い立ちを含め、人生全体がどこかかわいそうでもあるんですよね~…孤独感が垣間見えるというか…きっと彼なりに抱えているものがあったんだろうな~と思うと、あの最期は因果応報ではあるものの、なんだかちょっと切ない気もします。
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