ジョジョの奇妙な冒険に登場するジョースター家。主人公を含め、様々なキャラクターがその血筋を継いでいます。
星のアザを持つなど、星との関係が深いジョースター家ですが、今回は星との関連や星が表す意味、元ネタを考察してみました。
1. 「不滅の詩」の星とジョースター家の関係
まずは星が登場する一文として、ジョジョの1巻で引用されていたフレデリック・ラングブリッジの「不滅の詩」について見てみます。
二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。 一人は泥を見た。一人は星を見た。
荒木飛呂彦(1987年)『ジョジョの奇妙な冒険』1巻 集英社(3頁)
「同じ風景を見てもその人次第で見える景色が違う」というような意味でしょうか。後述しますが、荒木先生は1巻の作者コメントで「対照的なふたりの主人公を通してふたつの生き方をみつめたい」と述べているので、「二人の囚人」はジョナサンとディオを指しているようです。これを踏まえて詩とジョジョとの関係を考えてみます。
囚人が囚われている石仮面
さてジョナサンとディオは「囚人」なので、何かに囚われているようです。ジョジョ的には5部の「眠れる奴隷」の話のように、人はみんな運命に囚われている囚人だよ~とも言えそうですよね~!だからこの詩は、どんな運命の下に生まれても何を見るか、どう行動するかが大事だよね、という表現にも見えます。
ただこちらは1部冒頭の言葉なので、1部の内容から考えると、2人が囚われているのは石仮面ではないでしょうか。石仮面が血液で動くのを目撃したことにより、ディオはジョナサンの殺害を企てるほか、人間やめ~の、ボディを待ち~の、挙句の果てには100年ほど棺桶生活に…そして復活しても太陽には弱いと、結局3部までず~~~~っと石仮面の呪縛にかかっているんですよね~…
一方で石仮面の解明を進めていたジョナサンも、こんな気持ちを吐露していました。
荒木飛呂彦(1988年)『ジョジョの奇妙な冒険』2巻 集英社(105頁)
ディオの行動に研究者としての責任を感じ、石仮面から離れられなくなってしまう。それはまさに囚人のような状態ではないでしょうか。
だから「不滅の詩」におけるジョナサンとディオは、石仮面に囚われているという意味で「囚人」と考えられそうです。しかしとんでもないメキシコ土産だよな~!
ジョジョの運命の話「眠れる奴隷」の考察もあります
「星を見た」ジョナサンと「泥を見た」ディオ
次に「不滅の詩」の「泥を見た」「星を見た」についてです。それぞれジョナサン、ディオが当てはまるところですが、恐らく「泥を見た」のがディオで、「星を見た」のがジョナサンですよね~…星がジョースター家のシンボルなのはもちろん、苗字がJoestarであること、そして星を見ることは上を向く行為であることから、ツェペリの下で自分を高めていったジョナサンが表されているのではないでしょうか。
「泥を見た」ディオも上昇志向の持ち主で、石仮面を手中に収める前は自身の性格や言動に対して反省と努力をしていたのですが、吸血鬼となった後はそのような描写がなかなか見られないんですよね~…しかもダニーの殺害など泥のように汚さのある悪だし…そしてゾンビたちを地中から復活させたりと、物理的にも地面と縁があります。チューしたら泥水で口をゆすがれるとかね。
つまり囚われた状況でも星を見たジョナサンは、最後まで家族を守ることを諦めずに上を向いて戦い、泥を見たディオは文字通り汚い悪の道を進んだことが示唆されているのではないでしょうか。そして星は進むべき場所や目標、希望を表していると受け取れそうです。
2. 徐倫の「星の光」が示すもの
1部の詩との関連として、次は徐倫による星を用いたウエストウッド戦での台詞を見てみます。
『ひとりの囚人は壁を見ていた』『もうひとりの囚人は鉄格子からのぞく星を見ていた』あたしはどっちだ?
あそこに『骨』がある ホワイトスネイクに近づくためなら何だってやるぞ…ドブ水だってすすってやるし 誰よりも強くなる…もちろんあたしは星を見るわ…父に会うまで……星の光をみていたい荒木飛呂彦(2001年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』8巻 集英社(47頁)
「不滅の詩」と似た内容に言及しつつ、承太郎に会うまで諦めないぞ!という決意を表していました。ただ1巻よりわかりやすいな~と思ったのが、「星」が希望の意味を表していることです。星は暗闇の中で光り輝くものなので、例えば最終行の「父に会うまで星の光をみていたい」は「辛く暗い状況でも、上を向いて希望を持ち続けたい」の意味となり、星が希望であることがよくわかるのではないでしょうか。
また希望は「あなたの考えには希望がある」「あんたは『希望』」など、6部終盤で徐倫が何度か口にしていた言葉です。だから徐倫はまさに「星(=希望)を見る囚人」であり、「不滅の詩」を用いたこの台詞は、彼女が最後まで持ち続けた強い気持ちが表現されていると言えそうです。
徐倫の人間賛歌と星のアザのプライド
今度は徐倫の台詞と人間賛歌の関係を考えてみます。「ドブ水だってすするし何だってやるぞ!」から強い決意が見える徐倫ですが、決意といえばこんな台詞もありました。
この場所であってはならないのは………『精神力』の消耗だ………くだらないストレス!それに伴う『体力』へのダメージ……!!…あたしはこの『厳正懲罰隔離房』で!!『やるべき目的』があるッ!必ずやりとげてやる……そのためには……くだらない消耗があってはならないッ!いや……逆にもっと強くなってやるッ!
荒木飛呂彦(2001年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』7巻 集英社(75-76頁)
虫は湧くわ、う〇こ投げられるわと隔離房の恐ろしさを体験しつつも、体力の消耗はアカン!とパンをムシャムシャする徐倫。そんなタフさと、目的のために恐怖に打ち勝とうとする様は、ツェペリの言う人間賛歌そのものですよね~!
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!人間賛歌は「勇気」の賛歌ッ!!
人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!ノミと同類よォーッ!!荒木飛呂彦(1987年)『ジョジョの奇妙な冒険』1巻 集英社(3頁)
「怖さを知り、それに打ち勝つことが人間のすばらしさよォーッ!」という話でしたが、まさに徐倫の姿を表しているのではないでしょうか。だから「不滅の詩」が引用されたジョナサンと徐倫は、鉄格子から星を見た囚人であり、人間賛歌の生き方を貫いた人生だったんですね~…っていうか、鉄格子を見てマ…をしてたのが、星を見るようになったのすごい。成長したな、徐倫。
そしてウエストウッド戦はこんな言葉で幕を閉じます。
荒木飛呂彦(2001年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』8巻 集英社(62頁)
徐倫が指したのは、ジョースター家のシンボルの星のアザ。同じアザを持つ父親の救助を阻む敵への勝利宣言であり、満身創痍になりながら星という希望を胸に最後まで戦ったことが伺えるシーンです。タフな精神を持つジョースター家のプライドさえ感じますよね~!
だから囚人と星の台詞からは、苦しい状況でも徐倫が希望を持ち続けた精神、そして彼女の人間賛歌が表現されているのではないでしょうか。ただ徐倫に限らず、ジョースターの血統は基本的にこういう精神構造ですよね~星のアザを受け継ぐ、星を見る囚人たちってことか…
3. ジョースター家の星のアザの登場とストーリーの変化
次にジョースター家の星のアザの登場と、ストーリーの変化の関係についてです。
まずは苗字に注目してみます。2部まではジョースター家の血統の名字はジョースターでしたが、星のアザが初出した3部より、空条、東方など違う名字を名乗る人物が登場しました。さらに星の暗示のスタープラチナや、服装のデザインなど、名字以外でも星との関連も見られるようになります。あとヒトデとかね…だから星はジョースター家の血筋の人間であることを表す、記号的な役割を果たしていたんですよね~!
そんな2部以前と3部以降の話の違いにも注目してみると…まず荒木先生の1巻での作者コメントでこんなことを記していました。
はっきりいうと、この作品のテーマはありふれたテーマ─────「生きること」です。
対照的なふたりの主人公を通して、ふたつの生き方を見つめたいと思います。「人間」と「人間以外のもの」との闘いを通して、人間賛歌をうたっていきたいと思います。荒木飛呂彦(1987年)『ジョジョの奇妙な冒険』1巻 集英社
1部のテーマについて言及されていますが、2部までは人間vs人間ではない者の戦いを通じて、両サイドの生き方が描かれています。しかも人間でない者は吸血鬼、ゾンビ、柱の男…と人間を超越した力を持つ相手で、それでも諦めずに立ち向かう話が展開されました。
一方で3部以降の敵は人間のスタンド使いが多くなります。敵が化け物ゆえの恐怖だった2部までと違い、3部からは人間だからこその思考回路の怖さがあるんですよね~…でも相手が同じ人間に移行したからこそ、同じ人間でも敵にはない主人公たちの気高き精神が強調され、黄金の精神なんて概念も登場したのではないでしょうか。なおジョニィ(以下略)
そしてそんなストーリーだからこそ、各々の性格が反映されたスタンドが登場したんじゃないかな~!特に3部なんて、キャラクターの性格がかなりダイレクトに反映されたスタンドですよね〜騎士道精神から騎士、熱くなりやすいから炎とかね。
もうひとつストーリーで強調されるようになったのが、ジョースター家の宿命の話。2部終盤では「ジョースター家の男は代々短命」と、ジョースター家の特徴が言及されました。1部から運命については触れられていたものの、ジョースター家の天命的な話は2部後半より色濃く表現されるようになったのではないかな~と思います。あと2部にはなかったDIOとの因縁も、3部から復活したりとかね…
だから星のアザの登場は、ジョースター家のシンボル的な意味はもちろん、ジョジョの話の流れの変化とも関係がありそうです。1部から一貫しているテーマはありつつも、運命や精神性は3部前後からより濃く表現されているのではないでしょうか。
服が星だらけになる承太郎の話もあります
4. ジョースター家と星の関係の元ネタ
最後に、ジョースター家のシンボルが星となった元ネタについて少しだけ…さてJoestarのスペルや「不滅の詩」の星の表現より、荒木先生はかなり初期からジョースター家と星を関連させていたことが推測できます。
で、星の登場に参考にされたと思われるのが、キリスト教における、ベツレヘムの星です。ベツレヘムの星とはキリストが誕生した時に現れた星のことで、東方の三博士と呼ばれる人物たちが、この星を頼りにキリストの元を訪ねてきました。キリスト教はジョジョと関連が深いので、この辺が元ネタじゃないかな~!しかも奇妙な友情を結ぶのが、イタリア語で神の意味を持つディオでしょ~…怪しいよね…
あと東方といえばジョジョでは東方家もいますよね~!他にも7部では北斗七星を目印に眼球を探し出していましたが、星を頼りにしているストーリーが似ているところ。何かとベツレヘムの星と関連の深そうなジョジョですが、星のイメージの元ネタはこのあたりかな~という気がします。
まとめ:ジョースター家の星は生き様や記号的役割、物語の変化に関係していそう
ジョースター家と星との関連について色々と考察してみました。
「不滅の詩」はジョースター家の生き様や人間賛歌の表現、星のアザはジョースター家の記号的な役割を担いつつ、ストーリーの変化にも関係しているようです。特に3部で突然現れた星のアザは、その後のジョジョをダイナミックでありつつも、人間くさい物語にしている気がします。
そういえば星のアザを持つDIOは3部で「生きることは恐怖を克服すること」と言っていましたが、これも人間賛歌的な台詞ですよね~…人間じゃなくなってから人間賛歌をかますDIO様。体を張ったギャグじゃないですか…
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