ジョジョの奇妙な冒険2部に登場したシーザー。キザで厳しくも面倒見の良い、ジョセフの良き兄弟子でした。
そんなジョジョ屈指の印象的な別れを見せたシーザーですが、今回はシーザーの死亡シーンが泣ける理由を考察してみました。
1. 超正統派バトルだったシーザーvsワムウの一戦
まずシーザー最後の戦いとなったワムウ戦を振り返ってみます。闘いに全てをかけたワムウと、家族と仲間のために全身全霊をかけたシーザーの一戦でしたが、真面目な男同士のズルなしの本気のぶつかり合いだからこそ、涙を誘うのではないでしょうか。「オー!ノーッ」とか「逃げるんだよォー!」とか言ってたらちょっと面白くなっちゃうもんな。
そしてワムウが解毒剤入りのピアスを奪い返さなかったのも印象的でしたよね~…敵ながらアッパレとばかりにシーザーを讃えていました。
荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』10巻 集英社(124頁)
この直前にワムウは「波紋を込めて自分を殴らなかったのは、シャボン玉を作るためだったのか」とシーザーの意図に気づき、シャボン玉を壊すのをやめています。おセンチにはなっていないと言うワムウですが、それでもシーザーの作戦と最期の叫びには何か思うところがあったんでしょうね…ワムウなりの情のかけ方なんだろうな…
だからシーザー最後の戦いは、トリッキーな戦術とはまた違った正統派バトルだったことが泣ける一因なのかもしれません。そしてワムウも敗者をけなさずリスペクトし、「シャボン玉のように華麗ではかなき男」とまで評したことも、シーザーの生き様のカッコよさと切なさを物語っていた気がします。対戦相手がワムウだからこその名シーンだったよな~…
シーザーからの「継承」が詰まったジョジョの王道すぎるバトル
今度は「継承」という点に注目しながら、バトルを見ていきます。ジョジョにおける重要なテーマのひとつですが、ワムウ戦はシーザーの継承が詰まった一戦でした。例えばツェペリ家の血統への誇りを表すこちら。
荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』10巻 集英社(118頁)
シーザーが恐れていたのは肉体の死ではなく、ツェペリ家のプライドなしに逝くことなんですよね~…そしてツェペリ魂を受け継ぎ、祖父や父と同じように他人に未来を託すことを望んだ姿は、まさにジョジョらしい継承が表れているのではないでしょうか。
そしてシャボン玉に入れて残した解毒剤入りピアスとバンダナも、継承を象徴するものですよね~!でもジョセフが本当に受け継いだのは物ではなく、戦いへの姿勢や柱の男たちを倒すといった心意気、そしてシーザーの存在そのものだったのかもしれません。ジョセフはワムウにこんな言葉を残しています。
荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』11巻 集英社(165頁)
シーザーが後ろ盾となっていたようですが、自分を救おうとし戦い散ったことは、間違いなくジョセフの心に火をつけていたはず。だからワムウ戦で見せた、形見の品を燃やしてまで勝利を掴もうとする執念など、精神的な強さこそが、シーザーがジョセフに与えたものなのかもしれません。
さらにワムウの台詞にも注目してみると…シーザーだけではなく、ジョセフのことも称えていたんですよね~ジョセフとの戦いに敗れた後にはこんなことを言っていました。
荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』11巻 集英社(180頁)
そうだよな~~~前に戦った時は「線路は続くよ」歌ってクラッカーヴォレイしてトロッコで逃げてたもんな。なんなんだその戦法は…
闘いに人生をかけたワムウが褒め倒していましたが、きっとシーザーにとっても嬉しいことですよね~!ジョセフがエシディシを倒したと聞いて、戦いたがっていたワムウ。でもジョセフはシーザーの思いを背負った分、その時よりもさらに強い訳で…生前は波紋使いの先輩としてジョセフの面倒を見ていたシーザーですが、死してなおジョセフを成長させたことは、ある意味で兄弟子冥利に尽きるのかもしれません。
だからシーザーが死の瞬間に見せた継承に対する強い思いにグッと来るのはもちろん、その後のジョセフに大きな影響を与えていたことも、ジョジョらしい物語として印象的なのではないでしょうか。まさに不滅の男なんだよな~!
2. 孤独だったシーザーとジョセフたちの別れが泣ける理由
次にシーザーの人生とジョセフたちとの別れについてです。家族を放っておいたと父親に激怒し、貧民街時代へ突入したシーザー。原作の「シーザー孤独の青春の巻」というタイトル通り、家出後は心の拠り所がなく、どこかで寂しさを抱えていたのではないでしょうか。
そんなシーザーにとって母親のように慕っていたリサリサ、そして友人で良きライバルとなったジョセフとの出会いは嬉しかったはず。だからこそ孤独が終わり、戦いが終われば人生に彩りが生まれるであろう、という矢先の死は胸をえぐられるんですよね~…切ない、あまりに切なすぎる。
で、シーザーは死の直前、ジョセフを殴り、リサリサの制止を振り切るほどブチギレてホテルに向かっていました。ところがいざ入り口前に来るとこれ。
荒木飛呂彦(1989年)『ジョジョの奇妙な冒険』10巻 集英社(46頁)
急に犬???(違います)
落ちつきなくウロウロしていますが、なんせ相手は柱の男だもんね~…慎重になるのはもちろん、恐怖だってきっとあるはずです。それでも父の仇をとろうとホテルに入り、最期に思ったのは家族より、戦友・ジョセフのことなのがもう…未来に託すツェペリ魂すぎるんよ…これだからいいんですよ、これが…
しかもジョセフたちが駆けつけるも、体は石に潰され、姿さえも見ることができませんでした。見たところで面影はないだろうし、あまりに残酷な死に方だよな~…この家族と仲間を強く思いながら散った魂の輝きと、死のむごさのコントラストは胸に迫るものがあるのではないでしょうか。あまりに相反した要素が共存していて、美しさすら感じるというか…
そして陽キャなジョセフとクールなリサリサが慟哭する姿からは、3人の絆の深さと愛ゆえの悲しみが伝わってきます。なんだかもう壮大な映画でも見たようなドラマチックさですが、シーザーの過去、ジョセフたちへの思い、傷ましい最期といった構成もファンの心に強烈に響く要因なのかもしれません。泣ける要素しかないやんけ…
シーザーの叶わなかった夢と、それを叶えたジョセフ
今度はシーザーの夢とともに、死亡シーンを紐解いてみます。あれだけカッコつけて嫌みも言うけれど、実は優しく仲間と家族思いなシーザーの夢は「明るい家庭を持つ事」でした。こんなん泣くわ。
両親不在による苦労や寂しさを感じてきたからこその夢だもんね~…そんなシーザーが家庭を大事と考えていたことが伺えるのがこちら。
荒木飛呂彦(1988年)『ジョジョの奇妙な冒険』7巻 集英社(173頁)
結婚するんです~!とデレデレだったマルク死亡後のこのシーン。友人を失ったことはもちろん、家族の大切さを知る者だからこそ家庭を持つ未来を壊されたことに本気で怒っていたのではないでしょうか。シーザーだってリサリサに弟子入りする前は、マルクと同じ幸せな家庭を持ちたいと願う普通の青年だったはずなので、マルクが喜んでいた気持ちだってわかるだろうし、そりゃ~~~怒るよな~!
そんなごく平凡な夢も叶わずに逝ってしまったシーザーですが、「明るい家庭を持つ」という夢はジョセフが叶えていました。しかもシーザーのよく知るスージーQとリサリサと一緒に。継承を意識した設定かはわかりませんが、いずれにせよ絆の深い3人が家族関係となり幸せを掴むのが面白いというか、味わい深いというか…まあジョセフは浮気するんですけど。このスカタン!
このようにシーザーの死亡シーンは、シーザーのバックグラウンドやプロフィール、そしてその後のジョセフたちの行動まで含めて見ると、ますますインパクトを感じられるようにも思います。
3. アニメ版のシーザー死亡シーンの泣ける演出
最後にアニメ版のシーザー死亡時の演出についてです。音と映像がついてますます泣けるシーンになったアニメ版。話の最後には光の十字架の演出がありました。
ジョジョの奇妙な冒険: シーザー孤独の青春. TOKYO MX, 2013-02-23.(テレビ番組)
これ鎮魂の意味はもちろん、シーザーがカトリックだからじゃないかな~…雰囲気も教会っぽいし…シーザーが天に召されたことがドラマチックに表現されていました。
そしてシーザー死亡時に流れた曲「Il Mare Eterno Nella Mia Anima」も、シーンを印象的にしていた大きな要因ではないでしょうか。ま~~~た歌詞も粋なんですよね~!Google先生の力を借りながら訳してみると…
Ovunque tu vada(君が行くところ)
Ovunque io vada(どこへ行っても)
C'è il mio amor nella tua vita(君の人生には俺の愛がある)
C'è l'amor nella tua giornata(君の一日に愛がある)Basta un tuo sorriso(君の笑顔があれば十分)
Un tuo sol sorriso(君の笑顔ひとつで)
Non morirà l'alma mia, è immortal!(俺の魂は死なない、不滅だ!)Non serve versar lacrime(涙を流すことはない)
※カッコ内の日本語訳は筆者による加筆
岩崎琢(2013年)『ジョジョの奇妙な冒険 O.S.T Battle Tendency [Musik]』「Il Mare Eterno Nella Mia Anima」ワーナー・ホーム・ビデオ
マ、マンマミヤ~~~~~…
まるで号泣するリサリサとジョセフを空から見守っているかのような歌詞ですよね~…愛や笑顔なんて言葉には、キザで家族思いなシーザーらしさも感じられます。そして「俺の魂は死なない、不滅だ!」の部分は、ワムウ戦のラストシーンの「その身尽きてもその魂は死なず…」の言葉そのものであり、その後のジョセフの行動にも表れていたところではないでしょうか。
このように原作でも印象的なシーザー死亡シーンでしたが、アニメ版では音や映像により、劇的に仕上がっており、それが涙を誘っていたように思います。なおリアルタイム放送では、直後のCMのシュトロハイムがぶち壊した模様。泣いとる場合かーッ!!!
まとめ:継承、絆、設定、音など、様々な要素がシーザーの死亡シーンを泣けるものにしていた
シーザーの死亡シーンについて考察してみました。
ジョジョ屈指の別れのシーンですが、ジョセフたちとの絆、アニメ版での音声や映像など様々な要因が、涙を誘っていたように思います。そしてその後のジョセフたちの行動まで見ていくと、シーザーからの継承が感じられるのもジョジョらしく、シーザーの死がますます印象に残るのではないでしょうか。
しかしツェペリ家の最期はグッとくるよな…ジョースター家とはまた違った渋さや熱さがあって、いいですよね~…!
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