ジョジョの奇妙な冒険5部のスピンオフ作品「恥知らずのパープルヘイズ」。ブチャラティチームを離脱したフーゴの、その後を追った物語です。
5部ではあまり語られなかったフーゴの過去と離脱後について描かれた作品ですが、そこからフーゴのどのような人柄が見えてくるのでしょうか。レビューしながら考察してみました!
※ここから先、ネタバレありです!!!
1. 「恥知らずのパープルヘイズ」の内容
まずは「恥知らずのパープルヘイズ」の内容にざっくりと触れてみます。
5部でブチャラティチームを離脱したフーゴ。ある日ミスタに呼び出されると、新ボス・ジョルノによる麻薬なしの組織作りと、パッショーネへの忠誠を誓わせるために、「麻薬チーム」の始末の命令が下されました。
小説オリジナルキャラクターの仲間と共に戦闘を繰り広げていく中で、フーゴは様々なことに思いを巡らせます。自分の過去のこと、ブチャラティチームからの離脱、トリッシュを思ったナランチャの気持ち…などなど。
そして終盤にかけてボートには乗れなかったフーゴが、誰かのために一歩踏み出していくようになります。パープル・ヘイズが進化を遂げて「パープル・ヘイズ・ディストーション」となり、よりウイルスがコントロール可能となった辺りからも、フーゴの成長物語であることが伺える作品です。
2. 「恥知らずのパープルヘイズ」から見えてくるフーゴの人物像
次に「恥知らずのパープルヘイズ」から見えてくるフーゴの人物像について、考えてみます。5部ではあまり多くが語られなかったフーゴでしたが、一体どのようなキャラクターだったのでしょうか。
悲しすぎるフーゴの過去
まずはフーゴの過去についてです。
謎多きフーゴの人生でしたが、アニメ版では大学の教授を殴打し逮捕され、保釈後に孤独に生きていたところ、ブチャラティの目に留まってギャングとなった過去が明かされています。ただ家庭内の事情や幼い頃についてはほとんど触れられていませんでした。一方「恥知らずのパープルヘイズ」ではアニメ版とは違う過去が描かれ、フーゴの家族関係についても触れられています。フーゴ家はあこぎな商売で成り上がった家系で、大学入学は実力ではなく金によるもの。仲のいい友人はいないどころか、両親の関係も悪く、2人の兄からは苛められる…など恵まれた人間関係を持てなかったようです。
そんな中で唯一優しかったのが祖母でしたが、他界してしまった上に、フーゴは葬式に出席させてもらえませんでした。失意の中で受けた試験の結果は悪く、大学の教授に怒られてしまいます。そこで祖母の死を説明するも信じてもらえなかった挙句、「マンモーニ」扱いされたことにキレて、百科事典で殴り掛かったフーゴは逮捕されるのです。
そしてパッショーネへの入団経緯も、ブチャラティがフーゴの知識量を買っただけではなく、フーゴの目つきを見て「君はカタギでは生きられない」と判断したため。なにこれ重い、重すぎる…!
このように「恥知らずのパープルヘイズ」では、フーゴの過去が深堀りされていました。アニメ版とは異なる展開ではありますが、金持ちとは言え恵まれていた訳ではなく、フーゴが背負っていたものがよく分かる描写なのではないでしょうか。
キレキャラのギアッチョとの性格の比較もあります
フーゴの望んだ世界から見える悲しみ
そしてフーゴが望んでいたものが描写される場面もありました。麻薬チームのアンジェリカからのスタンド攻撃で、末期の麻薬中毒の幻覚を見るフーゴ。それは全てが幸せな幻覚で、彼が望んだ世界が見えていることが示唆されています。
例えば、大学教授には「君は君」と自分を一人の人間として認めてもらい、大好きだった祖母の命は助かります。家族たちもそれを喜び、兄たちとは釣りに出かけていきました。さらに同年代のブチャラティとは学問の話や悩みを話せる仲となり、学のないブチャラティがナメられないよう、自分が街1番の成績を修めなくては…と勉強に励むモチベーションも高まります。
…と、これがフーゴの理想の世界だった訳ですが、フーゴが理想としていたということは、裏を返せば現実はそうではないということ。実際、家族仲は悪く、同世代の友人もおらず、勉強への高いモチベーションも持てなかったんだもんね…!
フーゴは「もっと馬鹿なら良かった」なんてIQが高いことを卑下しているのではありません。ただそんな自分を認めてくれる環境がなかったことが悲しかっただけで…ひとりの人間としてリスペクトして欲しかったのではないかな~と思います。
そういう意味ではナランチャなんかと似た人生と言えるのかもしれません。フーゴがナランチャに世話を焼くのは、そんな理由もあったからだったりして…
ジョジョの頭脳派って辛い過去多いよね…
3. 指令を通して自らを知り、一歩踏み出したフーゴ
そしてフーゴの過去が明かされただけではなく、「恥知らずのパープルヘイズ」ではフーゴ自身、自分が何者かを知りながら一歩踏み出していきます。高い分析力を誇るフーゴが自己分析を重ねていくのですが、そこから見えてくるフーゴはどのような姿なのでしょうか。
フーゴの分析力についてはこちらもどうぞ~!
ナランチャの気持ちを理解して変わったフーゴ
まずはフーゴがボートに乗らなかった理由を、「恥知らずのパープルヘイズ」に描かれている内容から考察してみます。ポイントになるのが、ナランチャの「トリッシュはオレ」の意味です。
さて5部でゴミ箱から残飯を漁るナランチャを救ったフーゴ。ナランチャがブチャラティに憧れ始めた様子を見て、救った理由をこのように分析しています。
あのときの眼とは、もう違っている。ゴミ箱を漁っていたときの眼、何の希望もなかったときの眼ではない。彼はブチャラティに出逢って、それを見出したのだ。―――”未来”を。
(中略)
ここでやっと、フーゴはあのとき自分がどうしてナランチャを助けたのか、その理由がわかった。
(そうか―――コイツ、ぼくに似ていたのか。ブチャラティに助けられる前の、警察に一人取り残されていたときのぼくに)上遠野浩平(2011年)『恥知らずのパープルヘイズ ―ジョジョの奇妙な冒険より―』集英社(103頁)
未来に希望を見出せない自分にそっくりだったから…ということのようです。でもフーゴは似ていると思っていたはずのナランチャが、「トリッシュはオレ」と言ってボートに乗った意味だけは分からず、ずっと考え続けていました。そんなフーゴですが、物語の終盤で仲間のシーラEを助ける際に、やっとナランチャの気持ちを理解するのです。
(そうだ―――これだ。これなんだ。この感じだ―――彼女とぼくは”似ている”……)
うっすらと、彼の唇に微笑みが浮かぶ。それはやや自虐的な笑みだった。あれほど馬鹿にしていたナランチャでもわかっていたことを、秀才ぶっていたフーゴは、彼に遅れること半年も経って、ようやく理解できたのだ。
(シーラEは……ぼくだ。彼女の怒りは、ぼくの怒りだ……!)上遠野浩平(2011年)『恥知らずのパープルヘイズ ―ジョジョの奇妙な冒険より―』集英社(266頁)
シーラEが自分と似ていたからこそ手を差し伸べた訳ですね~!そしてそれはナランチャがトリッシュに抱いていたのと同じ気持ちであり、ボートに乗る動機だったことに気づきました。
でも、そもそもフーゴはナランチャを自分に似ているからという理由で助けたはず。だからフーゴにも他人のために動く!という素質自体はあったのだと思います。それにイマイチ気づいていなかっただけで…
それがトリッシュのために動けなかったのは、同情出来なかったからなんでしょうね…だってトリッシュの言動に「傷つけられた」と感じていたって書かれているくらいだし…洋服で手拭かれたしな…
…と考えるとボートに乗らなかったのは勇気というより、トリッシュに共感出来なかったことが大きかったのではないでしょうか。トリッシュのことを「音楽の趣味さえ知らない女」と表現していたフーゴですが、それでももしフーゴと重なる部分があったのであれば、ボートに乗ったのかもしれません。
自己分析を通じて一歩踏み出せたフーゴ
そして自己分析が出来たからこそ、フーゴが新たな一歩を踏み出せたという点についても考えてみます。麻薬チームとの戦闘を通して、フーゴは何度も5部での出来事を思い出し、自分の感情を整理していきました。
例えばボートに乗らなかったことについて、自分はボートに「乗れなかった」と、本当は乗りたい意志があったことに気づきます。そしてブチャラティが「乗れ」と命令しなかったからこそ、乗らずに待機してしまっただけでは…と考察。そんな自分をこのように分析していました。
自分で判断したように見えて、実はフーゴは、ただ幼い頃から周囲に教育され続けてきた”常識”というものにロボットのように従っていただけなのか?
上遠野浩平(2011年)『恥知らずのパープルヘイズ ―ジョジョの奇妙な冒険より―』集英社(218頁)
これに気づいちゃうのは辛いよな~…でもこんな性格になってしまったのは、他人にリスペクトしてもらえず、人間関係に恵まれなかったために、自分の決断に自信が持てなかったし、誰かを助けたいという勇気も沸きづらかったからなのかもしれません。親の意思で裏口入学までさせられたフーゴなので、あまり自分で考えて行動する機会自体なかったりして…でも自分の性質を知ったからこそ、ロボットのままでいるのではなく、自らの意志で一歩踏み出してみよう!という気持ちを持てたのではないでしょうか。分析力が優れていることもありボートに乗れなかったフーゴですが、その力があったからこそ、新たな自分になることも出来た。それはフーゴならではの人生の切り開き方ではないでしょうか。
「ガッツの『G』」から考える、フーゴの人物像はこちらで…
まとめ:「恥知らずのパープルヘイズ」はフーゴの人生を深く知ることが出来る物語
「恥知らずのパープルヘイズ」とフーゴの人生について考察してみました。
語られなかった悲しき過去やブチャラティチーム離脱後の話など、原作の内容を膨らませながら、フーゴの人生を描いた物語でしたが、なんというか…ヘヴィすぎるぞ…!やれやれだぜ…いや本当に…
フーゴの成長物語として描かれたこの作品。仲間を助けたことやスタンドの進化はもちろん、ボートに乗らずに葛藤を生んだ過去から逃げず向き合ったこと自体も、フーゴの新たな一歩であり、勇気ある行動なのかもしれません。ディ・モールト・ベネだ…!
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