【ジョジョ5部】「ガッツの『G』」の意味を考察してみた

ジョジョコラム

ジョジョの奇妙な冒険5部の中盤の一話である「ガッツの『G』」。独特なタイトルにも関わらず、その意味について作中で語られることはありませんでした。

そこで今回は「ガッツの『G』」の意味について、考察してみました。


1. 「ガッツの『G』」の「ガッツ」が意味するもの

まずは「ガッツの『G』」の「ガッツ」が意味するものについてです。「ガッツの『G』」は英語版では「"The 'G' in Guts」と、gutsという単語が使われています。このgutsには主に2つの意味があり、ひとつは内臓や腸、もうひとつは気合や勇気、根性を表すそうな。日本語でいえば焼肉のガツと気持ちのガッツね。

で、「ガッツの『G』」ではブチャラティたちが食事をしたり、菜食主義の話をしたりと、内臓に関係する描写がありました。アニメ版では空腹の状況について「ガッツが足りない」「ガッツを補給しないと」と表現しており、食事から内臓を満たすといった意味が示唆されています。

そして勇気や根性などの意味との関連といえば、一つ前の話でディアボロに反旗を翻したことが挙げられるのではないでしょうか。無茶な決意をした以上、ここからのブチャラティチームにとって気持ちはかなり重要になるはずですが、「ガッツの『G』」では特にトリッシュが父に立ち向かうという強い意志を見せていたのが印象的でしたね~!

だから「ガッツの『G』」のガッツは英語の意味通り、食事や内臓、気持ちの意味を表しているように思います。そういえばブチャラティチームの死亡者は皆、内臓に致命傷を負っていましたね…ガッツで「死」か…

ガッツが足りないと騒いでいたピストルズについての話もあります

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ブチャラティのガッツ

次にブチャラティと、内臓、根性の意味についてです。ディアボロにより致命傷を負い、肉体が死亡していたブチャラティですが、食事を前にした時の様子についてこんな台詞がありました。


荒木飛呂彦(1998年)『ジョジョの奇妙な冒険』56巻 集英社(138頁)

ジョルノが与えた生命エネルギーで動いてはいるものの、食事はとれない模様。つまりこの時のブチャラティは、ガッツ(内臓)に栄養を入れて体を動かすことは出来ず、ガッツ(根性)だけで動いているんですよね~!

さらにこの話でのブチャラティは、自分の異変について告白することはしませんでした。しかも「今は堂々と食おう」とあたかも自分も共に食事出来るかのような発言までしていましたが、これブチャラティの気遣いなのかもしれませんよね~…覚悟を決めてついてきてくれた仲間の気持ちに応えるために、心配をかけることなく、いつも通りチームを回そうとするブチャラティなりのガッツなのかもしれません。

ということで、ディアボロに立ち向かう強い気持ちを持ち、自分の状態を告げずに仲間に心配をかけなかったブチャラティの行動は、ガッツの胃腸、気合いといった意味と関連があるのではないでしょうか。体が死んでもなお、チームのリーダーらしさを貫いた人だよな~!

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2. 「ガッツの『G』」に登場しなかったフーゴはガッツがなかったのか?

ここでガッツの気持ち的な意味を中心に、フーゴのガッツについて考えてみます。「ガッツの『G』」の「ガッツ」が強い気持ちを意味するとすれば、話に登場しなかったフーゴはガッツがなかったと捉えることもできるはずです。しかもフーゴは離脱前に「ブチャラティは正しい」と言いながら、こう続けていました。

荒木飛呂彦(1998年)『ジョジョの奇妙な冒険』56巻 集英社(115頁)

フーゴたちが生きる世界が「理想だけでは生きていけない」のであれば、それでも理想を求めてボートに乗ったブチャラティたちはやはりガッツがあり、裏切りを正しいと認めながらも乗らなかったフーゴの判断は、ガッツがないようにも見えます。

で、確かにボートに乗った面々は、ブチャラティの話を聞いてうなだれながらも、ディアボロに仕えることを上回る理由を探して裏切りという勇気ある決断をしていました。「トリッシュに共感した」「自分の居場所はブチャラティと共にあると感じた」「幹部になれると思った」「金が手に入ると思った」とかね。誰ですか、最後の2つは。

でもね、やっぱりフーゴはガッツがないとは言い切れないない訳で。だってボートに乗ろうが乗るまいが、大変な人生になることには変わりないんだもんね~…乗ったらディアボロが殺しに来るし、乗らなかったら所属チームから離れるので居場所がなくなる上に、ディアボロに何されるかわからないし…

だからどちらの選択をしても命や安全の保証のない、詰みの状態に陥っているのです。そして頭の回るフーゴなので、そのことも恐らく理解していたはずですが、そんな中でたった独り組織に戻ることもまた勇気が要るのではないでしょうか。ディアボロの嫌らしさも知った上で働き続けないといけない上に、ブチャラティたちについて行けば、恐怖や不安を共感できる仲間がいるだけまだ精神的に救われる可能性だってあるよね…

無謀でも正しい道を歩もうとしたブチャラティたちに比べれば、フーゴのガッツは大きなものとは映らないのかもしれません。それでもフーゴが裏切り者のチームにいた一人として、命の危険を感じながら独り組織に残り続けるという選択をしたことも、ガッツが必要な決断だったのではないでしょうか。

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「ガッツの『G』」の表紙絵にフーゴがいる意味

もうひとつフーゴとの関連として、ちょっと気になったのが「ガッツの『G』」の話の表紙絵です。これね。


荒木飛呂彦(1998年)『ジョジョの奇妙な冒険』56巻 集英社(131頁)

ブチャラティチーム全員でGの形を作っており、背後にはキング・クリムゾンという構図でした。一話前で致命傷を受けたブチャラティだけは、死亡を表しているのか目を閉じています。

でね、ここになぜか「ガッツの『G』」の話に登場しないフーゴがいるんですよね~…そもそもミスタとブチャラティの体を繋げれば、フーゴがいなくてもGの文字は完成します。しかもこの表紙絵の元ネタとして有名な作品である、ピーター・ブラッティンガの「Alphabet van Anthon Beeke」のGの文字でも、フーゴの位置に人物は配置されていません

見れば見るほどフーゴがいる謎が深まるこの表紙絵。でも必要のないはずのフーゴがあえて描かれたのは、ブチャラティたちとは違う道を歩んだフーゴにもまたガッツが必要で、キング・クリムゾンの脅威からは逃げられないと言った意味が込められていたのかな~という気がします。まあ最後にブチャラティチーム全員で、というだけのデザインかもしれないけれど…

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3. 「ガッツの『G』」の「G」の意味

最後に「G」の意味についてです。さて5部で「G」で始まる単語と言えば、gangstar、Giorno、Golden Windなどいくつも思いつくものがあります。他には過酷なんて意味を持つgrueling、不屈の精神を意味するgumptionなんて言葉もイメージに合いそうですよね~!

そしてキリスト教関連のネタが多い5部から連想できる他の単語として、God(神)があります。例えばジョルノはイタリア語で神を意味するDIOの息子であり、キリスト教的には神の子であるキリストのポジションにあたる人物です。そのジョルノが歯向かおうとしているディアボロは、パッショーネの中であたかも神のような手の届かぬ存在でした。ボスからメールが来れば皆緊張していたし、じきじきの命令が下ったと聞いた時なんか見てよ…

荒木飛呂彦(1996年)『ジョジョの奇妙な冒険』50巻 集英社(106頁)

ビックリマークの嵐で驚嘆しまくりの皆さん。いかに絶対的な存在だったかが伺えますが、その娘のトリッシュに対してもかなり気を配っていましたよね~!服で手を拭かれてもキレなかったフーゴとか(なおアニメ版)、フーゴがトリッシュに倒れめば「太モモさん」と謎のさん付けで弁解(?)するミスタとか、亀にトイレを作ってあげるブチャラティとかね。ドン引きされてたけど…

そしてペリーコロさんが自ら命を絶ったのもディアボロの命令であるなら、命をなげうってでも従う姿勢はもはや崇拝に近いんですよね…「裏切り者のレクイエム」の出だしでも「神」として表されているのはディアボロだったりと、何かと神のような存在の人と言えるのではないでしょうか。

色々な意味が想定される「ガッツの『G』」のGですが、神の意味を持つDIOの子・ジョルノvs神のように君臨していたディアボロの戦いが始まる話という点から考えると、Godの意味が含まれているとも考えられるのかもしれません。

ジョルノと神との関連は、こちらでも触れてみました

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まとめ:「ガッツの『G』」は物語の内容や単語と関連のあるタイトルなのでは?

「ガッツの『G』」の意味について考察してみました。

ガッツでは食と関係しそうな胃腸、そして気持ち的なガッツの意味が、そして「G」では5部に関わる様々な言葉の頭文字と関係がありそうなこのタイトルですが、週刊誌版で連載時には「ボスの謎を探れ!!」だったそう。かなりインパクトのある名前になりましたよね~!

この話を境にディアボロへの裏切り、フーゴの離脱、敵も暗殺チームからディアボロの親衛隊に代わるなど様々な変化が起き、5部の物語も佳境に入り始めますが、そんな転換点の話だからこそユニークなタイトルに変更されているのかもしれません。音の並びもなんかいいしね…!

5部の話については、こちらもどうぞ~!

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