ジョジョの奇妙な冒険5部で再登場したポルナレフ。ディアボロにとどめを刺されて見た走馬灯では、3部の旅の思い出がよみがえりました。
その左側にカメオのジャッジメントが描かれているのですが、なぜ3部のスタンドの中からジャッジメントが走馬灯に浮かんだのでしょうか。考察してみました。
1. ポルナレフが「死」を突きつけられた審判戦
まずはポルナレフの走馬灯の場面を振り返ってみます。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』61巻 集英社(177頁)
3部の旅が印象深かったことが伺えるシーンです。
ジョースター御一行にチャリオッツ、DIOの館、アヌビス神と戦ったコム・オンボ神殿、正義戦の時に乗ったジープ、そしてジャッジメント…
ん?ジャッジメント???
なんか引っかかりませんか…?しかもでかでかと描かれてるんだよな…
数あるスタンドから、ジャッジメントが死の間際に思い浮かんだのはなぜか。まずはポルナレフにとって、審判戦がどんな戦いだったのかを考えてみます。
コム・オンボ神殿が描かれていたアヌビス神についての考察はこちらで…
ポルナレフの弱点を暴いた審判
審判戦はポルナレフにとって「死」を意識させられた戦いです。シェリーとアヴドゥルの死だけではなく、自身が死を覚悟した戦いでもあり、その危機を招いたのは自身の弱点を暴かれたからでした。
ジャッジメントにこんな台詞があります。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(103頁)
「心の底から願うことに最大の弱点全てがあられる」という台詞から、ポルナレフの弱点は2つ目と3つ目の願いとして叶えようとした「人の死」「喪失」であることが伺えます。さらにジャッジメントに「死んだ人間が生き返ることは不自然だと考えていない」と指摘されており、ポルナレフも「周囲の死を受け入れきれていない」ことが示唆されています。
ジャッジメントに痛いところを突かれてしまったポルナレフは、精神的に追い詰められて敗北したといっても過言ではありません。だっていつもは自信満々で突っ走るポルナレフがこれだもの…
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(113頁)
いつになく弱気なポルナレフ…死なないでお兄ちゃん!(シェリーに襲われてるけど)
チャリオッツを掴まれているとは言え、いつものしぶとさがないのです…アニメ版なんて「土人形でもお前らに食われるなら悪くない」とか言ってるし。
細かい話はこちらで触れましたが、ポルナレフって自分1人の戦いだと実はしぶとくないんですよね~…
でもね、この心の弱さを自覚させられたことは、ポルナレフにとってどんな物理的攻撃よりも効いたのかもしれません。だって妹の敵討ち!と強い気持ちで旅に出たはずが、実は自分の弱点だったと言われた訳だし。もしかしたらポルナレフが旅に出た理由は、シェリーの死を受け入れきれず、身内もいない辛すぎる現実に目を背けるためでもあったりして…辛い…
でもポルナレフが審判戦で突きつけられたのは、自分の弱点だけではありませんでした。
「死んだ者は生き返らない」と気づいたポルナレフ
もう一つ、ポルナレフが審判戦で痛感したのは「死んだ者は2度と生き返らない」こと。先ほどのジャッジメントの台詞でも「死んだ人間が生き返ることは不自然だと考えていない」と言われていましたが、それを体感させられた戦いです。
最愛のシェリーはもちろんですが、アヴドゥルもきっと心から復活させたかったポルナレフ。J・ガイル戦後では、アヴドゥルの死に心の整理がついていたように見えました。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』16巻 集英社(85頁)
お前だよ!というツッコミを通り越してもはや感心するわい…もうね、こういう強い心で生きていきたい。
でもね、そんなポルナレフも審判戦直前にアヴドゥルの父親らしき人物に会ってしまったことで、落ち込んでしまいます。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(59頁)
鼻息がなんか可愛いな…
責任を感じているらしく、父親に顔向けするためにアヴドゥルを生き返らせたいと思っても不思議ではありません。
で、ポルナレフは2人を蘇らせるように願うのですが、ジャッジメントが作り出したのは土人形であり、顔もただれたような姿。死んだ者を生き返らせることは、絶対に叶わない願いだと気づくのでした。
だからこそ5部のディアボロ戦で自分の死に直面した時、ポルナレフはきっと「自分はもう生き返ることはない」「これで終わり」と感じたはず。そしてそれを教えてくれたのがジャッジメントの戦いだったからこそ、死を目の前にして思い出したのかもしれません。
2. 審判戦を経てポルナレフが見せた成長
次に審判戦がもたらしたポルナレフの成長について、考えてみます。審判戦での敗北理由は精神的な弱点を突かれたことでしたが、その弱点についてアヴドゥルにもこんな指摘を受けています。
荒木飛呂彦(1990年)『ジョジョの奇妙な冒険』19巻 集英社(123頁)
復活早々、さっそく説教してくるアヴドゥル。あっ、これは本物のアヴドゥルだ!
この後原作では土人形のシェリーをジャッジメントに破壊され、ポルナレフは怒っていましたが、アニメ版では自らとどめを刺す演出でした。これを見たアヴドゥルは「成長していないと言った前言は撤回する」と発言。しかしポルナレフも「いやお前の言う通りだ」と言い返しているところから、偽物はいえ死んだ妹は生き返らないと察し、自ら手をかけることで「死」を受け入れたことがより伺えます。
と考えると、審判戦は周りが見えなくなるほど妹の死にとらわれていたポルナレフが、「死」を受け入れることで、その執着から解放されて一回り成長した戦いだったのでした。
しかしこのポルナレフの心の成長は、これで終わりではありません。審判戦でのこの教訓が、物語終盤でとんでもない力に化けるのです。
仲間の「死」によって成長したヴァニラ・アイス戦
ポルナレフの「死」を受け入れることでの成長が見られたのが、ヴァニラ・アイス戦です。
この戦いでポルナレフはアヴドゥルとイギーを目の前で失います。しかしポルナレフは両者の「死」を否定するのではなく、受け入れたからこそ、より力を発揮することが出来ました。
特にアヴドゥルが死んだ直後の攻撃では、スタンドの成長を見せています。
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』26巻 集英社(57頁)
チャリオッツの射程距離が伸びており、ヴァニラ・アイスもびっくり仰天。そしてイギー死亡後は、イギーの名前を叫びながら脳天に剣を突き刺すなど、凄まじい底力を見せてヴァニラ・アイスを撃破しました。
仲間の「死」を受け入れられたことで、勝利を勝ち取ることが出来たポルナレフ。ラバーズが「すべてはおのれの弱さを認めた時に始まる」なんて言っていましたが、まさにそれを体現した戦いでした。
このように考えると審判戦は、弱点を強さに変えることができ、ポルナレフを成長させた大切な戦いだったからこそ、走馬灯に見えたのかもしれません。
3. 本当は生きたかったポルナレフ
最後に5部で死に直面したポルナレフが、生への執着を見せたことについて考えてみます。ポルナレフは走馬灯でジャッジメントの姿を見ていますが、そもそも走馬灯とは何なのか。
ブフィスターによれば、刺激遮断は生物学的な機能をそなえている。思考の超加速化によって恐怖や不安に対する通常の反応をかわし、それによって行動を麻痺させるのである。考えが洪水のように押し寄せ、過去の人生を回顧するのは、落下したり、溺れたり、衝突したり、撃たれたりしている最中の人に、死が間近に迫っているという、トラウマを残すような現実を味わわせないためである。
刺激遮断は強烈な刺激から身を守るための防衛本能のこと。ということは、人間にとって死は怖いもので、その恐怖から逃げるために色々な光景が浮かぶという仕組みっぽいです。なるほど~!
またこんな説もあるようです。
走馬灯体験が起こる原因は、人は死の危険に直面すると、助かりたい一心でなんとか助かる方法を脳から引き出そうとするために記憶が映像的に一気によみがえる、アドレナリンが分泌されて脳に変化をもたらして記憶をよみがえらせるなどと考えられています。
死の危険に直面した時、脳が過去の記憶から死を回避するための方法を探すために見えるのが走馬灯だと。ほうほう。
つまりポルナレフが走馬灯を見たのは、死が本能的に恐怖で、そこから逃れる方法を探していたからと考えられそうです。でもポルナレフが死を逃れたかったのは、他にも理由があるんじゃないかな~…
というのはポルナレフは明確な目的があってコロッセオに来た訳で。その目的を果たすまで死ねない!って思っていることはこの台詞からも伺えます。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社(45頁)
ポルナレフは打倒ディアボロの希望をジョルノ達に託すために、必死に生き延びようとしたのです。だから死を目前にして、そこから逃れる方法として走馬灯に現れたのが「死から生き返らせろ」と願うことが出来た審判戦だったのかもしれません。実際「生き返らせろ」って言ったらアヴドゥルが復活した戦いだしな…
ところでディアボロへのリベンジを果たすためなのはもちろんなのですが、なぜポルナレフは亀にしがみついてまで生に執着する必要があったのでしょうか。もう少し深く考えてみます。
仲間の思いを背負ったポルナレフとジョルノ
ポルナレフが生に執着した理由。それは「生きている者としての義務を果たしたかったから」ではないでしょうか。
ディアボロ戦終了後の5部の最後のシーンで、ポルナレフとジョルノはこんな会話をしています。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』63巻 集英社(225頁)
ポルナレフは「去ってしまった者たちから受け継いだものを進める」ことに対して「それが生き残った者の役目」と言いきっていました。こう言い切れた理由は、ポルナレフが「生き残った者の役目」を果たしてきたからだと考えられます。
3部の後、ポルナレフは承太郎と矢の追跡調査を行っていました。矢は3部の敵であり、力を合わせて倒したDIOのスタンド能力を発動させたもの。だから3部で仲間を殺したDIOに、結果的に力を与えたディアボロを倒すことにこだわったのではないでしょうか。
ポルナレフは仲間の死を無下にせず、生き延びて目的を達成したかったからこそ、無意識に必死で生きる手段を探したはず。そのため走馬灯では、ポルナレフを突き動かすモチベーションとなっていた3部の光景が浮かび、「生き返る」という願いを叶えようとしたジャッジメントの姿が見えたのではないでしょうか。亀にしがみつくほど生に執着できたのは、大事な仲間の存在があったからなのかもしれません。
まとめ:走馬灯に審判が現れたのは、ポルナレフの成長と生きたいという意志によるもの
ポルナレフの走馬灯に現れた審判の意味について考察してみました。
ポルナレフの弱点であった身近な人の「死」を受け入れさせ、さらなる成長を遂げるきっかけとなったのが審判戦でした。そして5部では3部で力尽きた仲間たちの意思をも背負ったポルナレフが、打倒ディアボロという義務を果たすために「生き返りたい」と願ったからこそ現れたのではないでしょうか。
でもさ~実はもっとギャグっぽい理由だったりしてね…
カメオだけにカメオ出演とか。カメオだけに亀になるとか。
ま、まさかね…カメオ…亀男…うーん…
ポルナレフの記事はこちらもどうぞ~!