ジョジョの奇妙な冒険ではキリスト教に関する描写や、それらを元ネタにしたであろうシーンが数多く登場します。
そこで今回はジョジョのキリスト教の元ネタについて、まとめながら考察してみました。
- ジョナサンと筋肉的キリスト教
- シーザー死亡シーンの十字架
- DIOの復活とイースター
- ジョースター家の星のアザとベツレヘムの星
- 占い師のアヴドゥル、東方家の苗字と東方の三博士
- 空条ホリィの名前と聖母マリア
- ジョセフのハーミットパープルとキリストの姿
- DIOの名前の意味と神
- ヴァニラ・アイスと「イサクの犠牲」
- 花京院死亡シーンとキリスト磔刑、キリスト降架
- 虹村家の苗字と弓矢
- 虹村形兆戦における仗助のモーゼの話
- ジョルノ・ジョバァーナとキリスト教
- 「パッショーネ」の名前の意味とジョルノ
- フーゴが乗らなかったボートとノアの方舟
- ブチャラティの実家の漁師という職業
- ナランチャの横に咲かせた百合
- シルバー・チャリオッツ・レクイエムとゴールド・エクスペリエンス・レクイエム
- ブチャラティ死亡シーンとキリスト昇天
- 空条徐倫と聖母マリア
- サヴェジ・ガーデン作戦と白鳩
- プッチが流したヘンデル作の「メサイヤ」
- 緑色の赤ちゃんとアダムとイヴ
- 「14の言葉」とキリスト教
- ドミネ・クオ・ヴァディスとペテロのエピソード
- ヘビー・ウェザーの虹の意味
- エンポリオを逃したイルカのキリスト教的な意味
- 聖なる遺体とキリスト
- ジョニィとアリマタヤのヨセフ
- ディエゴの生い立ちとモーセ
- ジョジョリオンのタイトルと定助とイエスの関係
- まとめ:ジョジョにはキリスト教に関するネタがいっぱい!
ジョナサンと筋肉的キリスト教
まずはジョナサンと筋肉的キリスト教との関係です。いきなりパンチの強い名前だな。
名前だけでジョナサンを連想しそうなところですが、筋肉的キリスト教とは19世紀イギリスなどに見られる、強靭な肉体や男らしさ、スポーツなどを推奨したり重んじたキリスト教運動のひとつのこと。
ジョナサンといえば筋肉がチャームポイント(?)のひとつ。ほら…
荒木飛呂彦(1987年)『ジョジョの奇妙な冒険』1巻 集英社(129頁)
これは筋肉的キリスト教ですわ。すっごぉ~~~~~~いッ!!!
ラグビーのシーンといい、エリナを助けた際には「紳士を目指している」「女の子だから助けた」の発言といい、肉体やスポーツ、男らしさという点で筋肉的キリスト教との共通点が伺えます。しかも筋肉的キリスト教が最も盛んだったんはアメリカとも言われていますが、事の起こりは19世紀イギリスと、1部の時代や場所と被っているんだよな~!
元ネタかは不明ですが、共通点が多い筋肉的キリスト教とジョナサン。これは荒木先生にぜひお聞きしたいところだな…
シーザー死亡シーンの十字架
2部のシーザーの死亡シーンを見ていきます。さて巨大な石の下敷きとなって死亡したシーザーでしたが、その石の形は十字架状で、キリスト教の墓石を連想できそうなところ。さらにアニメ版では壁から石に向かって、十字架状の光が射しこんでいました。
ジョジョの奇妙な冒険: シーザー孤独の青春. TOKYO MX, 2013-02-23.(テレビ番組)
これもキリスト教関係っぽい…!そして美術の元ネタ考察の記事でも触れましたが、この形は大阪府の茨木春日丘教会で見られる光にも似ています。
By taken by Bergmann - ja:Image:Ibaraki_Kasugaoka_Church_Light_Cross.JPG, CC BY-SA 3.0, Link
それにしてもこのシーン、アニメオリジナルの粋な演出ですよね~!ただですら悲しいのに、より泣かせにくるアニメスタッフさんたち、本当いい仕事すぎる…!
ジョジョの美術の元ネタは、こちらにまとめました。
DIOの復活とイースター
続きまして3部のDIOの復活とイースターについてです。イースターとは磔刑で亡くなったキリストが、その日から数えて3日目に復活したことを祝う復活祭のこと。金曜日に十字架にかけられ、土曜日にお墓に入ったキリストが、日曜日に復活したことをお祝いします。
で、気になるのは3という数字。1部で死亡したと思われたディオが復活したのは3部。数字も気になりますが、1部で死亡したと思われ、2部では棺桶に入っており、3部で復活という流れもなんだかイースターっぽいんですよね~!荒木先生が意識していたかは不明ですが、DIOの復活にも元ネタがあったりして…
ジョースター家の星のアザとベツレヘムの星
次にジョースター家の星のアザについてです。なぜ星?と気になるところですが、もしかしたら元ネタはベツレヘムの星なのかな~…と。
ベツレヘムの星とは、キリストが誕生した時に現れた星のことです。キリスト教では東方の三博士と呼ばれる人物たちが、この星を頼りにキリストの元を訪ねてきます。ジョジョで星型のアザが初登場した3部ではアヴドゥル、花京院、ポルナレフ、イギーと、ジョースター家を象徴する星の下に次々と仲間が集まってきました。
また7部では北斗七星を目印に眼球を探し出していましたが、こちらも星を頼りに…という点で類似点がありそうです。
ちなみにベツレヘムの星は、クリスマスツリーの1番上の星のモチーフとなったものです。クリスマスといえば、ジョースター御一行の旅路ではデス13戦辺り。なるほど、花京院はう〇こをプレゼントしていたのか。しかも花京院の髪色と衣装がクリスマスカラーという奇跡の偶然。サンタクロースだよ、ベイビー。
占い師のアヴドゥル、東方家の苗字と東方の三博士
東方の三博士の話が出てきたので、他のキャラクターとの関連性についても少し…
まずアヴドゥルに注目してみます。アヴドゥルの職業は占い師ですが、キリストの元にやってきた三博士の職業について、聖書には「占星術者」とも書かれていました。DIOの脅威から世界を守り、救世主のような人物でもある承太郎の誕生に合わせてやってきたのが占い師アヴドゥル…と、なんだか妙な繋がりが感じられます。
そして「東方」というところから連想できるのが、4部、8部の東方家の苗字です。珍しい苗字ですが、こちらも元ネタはきっと東方の三博士じゃないかな~!
空条ホリィの名前と聖母マリア
お次は空条ホリィの名前についてです。これは聖母マリアでしょ~!自ら「聖子さん」と語っていたくらいだし…
で、キリスト教では聖母マリアの夫はジョセフという名前で、子はイエス・キリストでした。そしてキリストは処女のマリアの体から生まれているため、ジョセフは養父ともいえる存在です。
これを3部と関連づけるなら、ホリィの夫は貞夫でしたが、3部のストーリー上で承太郎の保護者的なポジションだったのはジョセフという点と重なります。これは偶然なのか、荒木先生の意図なのか…どちらにしてもキリスト教との関連が強そうなジョースター家なのでした。
ジョセフのハーミットパープルとキリストの姿
次にジョセフのスタンドであるハーミットパープルについてです。十字架にかけられる直前のキリストについて、ヨハネの福音書にはこんな記載があります。
5 イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。
いばらに紫…ハーミットパープルなんだよな~!
そして茨は「肉体的苦痛、精神的苦痛」の象徴でもあるのだとか。ホリィやジョナサンの体を乗っ取ったDIOが使用したスタンドのように、ジョースター家代々のスタンドの形でもある茨ですが、確かにこの家系は心身ともに苦痛や苦難を味わいがち…
だからキリスト教的に解釈すれば、ハーミットパープルはジョセフというより、ジョースター家全体の運命を表すスタンドでもあるように見えそうです。奥が深い…
DIOの名前の意味と神
お次はDIOの名前についてです。これは有名なやつですよね~!
DIOはイタリア語で神の意味。メタルバンドの名前「DIO」が元ネタと言われていますが、DIO自身がキリスト教における神様のような存在であるか、と聞かれるとかなり微妙なんですよね~…というより、世界を手中に収めたい=神のように君臨したい!と考えていたというのが近い気がします。天国に行きたいとも言っていましたが、キリスト教における天国は神が支配する場所だし…
だからDIOは名前は神でも、神をイメージしたキャラクターではなく、あくまでも神になりたかった人ではないでしょうか。
そういえばDIOは衣装、スタンドともに黄色ですが、キリスト教絵画において、キリストを裏切るユダの着衣には黄色が使われています。ベツレヘムの星を連想させる星型のアザを持つジョースター家を、裏切る形で吸血鬼化したのがDIO…と考えると、DIOの衣装の色にも実は意味があるのかもしれません。しかしかっこいいよね、黄色一色って。
ヴァニラ・アイスと「イサクの犠牲」
次にヴァニラ・アイスと「イサクの犠牲」の話についてです。「イサクの犠牲」とは超~~~~ざっくり言うなれば、アブラハムが神への捧げものとして息子のイサクの命を差し出すよう命令されるという物語。アブラハムはイサクを差し出すことを決めて手をかけようとするも、すんでのところで神の使いが現れて止めに入りました。
アブラハムの神への忠誠心を試すためだったともいわれるこのお話ですが、こちらはヴァニラ・アイスとDIOの対話シーンに似ているように見えます。
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』26巻 集英社(16頁)
はい喜んでって居酒屋みたいな、ヴァニラさん。
命に関わる血液を差し出させるのは、忠誠心を試しているかのようです。でも血どころか、命まで差し出しちゃうのがヴァニラ・アイス。この人、本当盲目的だよな~と言いたくなりますが、アブラハムの息子の命を差し出そうとする行動もなかなか…なんだか共通点のありそうな両者なのでした。
花京院死亡シーンとキリスト磔刑、キリスト降架
次は花京院の死亡シーンについてです。
荒木飛呂彦(1992年)『ジョジョの奇妙な冒険』27巻 集英社(158頁)
ジョジョの「ー死亡ー」は心がえぐられるんよ…
貯水タンクに打ちつけられ、首は曲がり、腕、足ともにだらっとしているポーズですが、ここから連想されるのが「キリスト磔刑」や「キリスト降架」の美術作品。例えばこちらはキリスト降架の1枚とか…
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン - Originally from en.wikipedia; description page is/was here.Source: http://www.kfki.hu/~arthp/html/w/weyden/rogier/01deposi/index.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
首の角度や垂れ下がった手など、いくつかの共通点が見られます。他のキリストの磔刑図や降架図では、足が交差していたり、手の角度が違うものなど微妙なバリエーション違いのポーズがたくさんありますが、いずれにせよ元ネタは宗教画じゃないかな~!
花京院とキリスト教については、こちらでまとめています。
虹村家の苗字と弓矢
次に4部より、虹村家の苗字について考えてみます。元ネタなんかあるのかな~と思っていたのですが、ちょっと気になったのが、列王記下の13章の記述です。
14 さてエリシャは死ぬ病気にかかっていたが、イスラエルの王ヨアシは下ってきて彼の顔の上に涙を流し、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と言った。
15 エリシャは彼に「弓と矢を取りなさい」と言ったので、弓と矢を取った。
16 エリシャはまたイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、手をかけた。するとエリシャは自分の手を王の手の上におき、
17 「東向きの窓をあけなさい」と言ったので、それをあけると、エリシャはまた「射なさい」と言った。彼が射ると、エリシャは言った、「主の救の矢、スリヤに対する救の矢。あなたはアペクでスリヤびとを撃ち破り、彼らを滅ぼしつくすであろう」。
18 エリシャはまた「矢を取りなさい」と言ったので、それを取った。エリシャはまたイスラエルの王に「それをもって地を射なさい」と言ったので、三度射てやめた。Wordproject「列王記下」
弓と矢の話だ…
死の病にかかっている父・エリシャと弓矢を手に取る息子のヨアシは、虹村父と形兆を彷彿とさせます。さらに弓矢は「東向きの窓」から射られたそうですが、形兆が広瀬康一を射抜こうとしたのも窓からでした。向きは恐らく東ではないのですが、東の名のつく東方仗助がいる方角ではあります。
そして形兆の苗字にも注目してみると、虹村の虹は英語でrainbowで、分解するとrain(雨)とbow(弓)。4部では雨が降るアンジェロ戦の話の後に、虹村兄弟のエピソードが展開されており、まさにrain(雨)の後にbow(弓)なんだよな…そして虹はフランス語でarc-en-cielですが、直訳すれば「空(ciel)にかかる弓(arc)」とこちらでも弓が登場しているのも気になるところ。
かなり強引な部分もありますが、虹村家のエピソードや苗字の由来もキリスト教とつながる部分があるのかも…!?
虹村形兆戦における仗助のモーゼの話
次に虹村形兆戦での仗助によるモーゼの話です。立ちふさがるバッド・カンパニーを前に、「海をまっぷたつにさいて紅海を渡ったモーゼのように軍隊を突破してやる」なんて発言していましたが、これは旧約聖書の出エジプト記のお話が元ネタ。イスラエル人がエジプトの奴隷となっていた時代のお話で、超~~~~ざっくりなあらすじはこんな感じです。
神のお告げを受けたモーセは、奴隷であったイスラエル人をエジプトから脱出させたものの、追手のエジプト軍により海辺にまで追い詰められてしまいます。大ピンチの中、海に手を掲げて海を2つに割って逃げ道を作ったモーセ。エジプト軍は元に戻っていく海に飲まれ、モーセたちは危機を脱出できたよ~というお話。
つまり大量の軍隊を海に見立て、それをモーセばりに分断して本体まで進むぜ~!というセリフだった訳ですが、それにしても例えが知的な仗助クン。けっこう知識人なのね…!
ジョルノ・ジョバァーナとキリスト教
次に5部の主人公であるジョルノ・ジョバァーナについてです。まずゴールド・エクスペリエンスの生命を生み出す能力は、旧約聖書の「創世記」で、神が生命を作り出していく様子を彷彿とさせます。
その一方で、ジョルノにはイエス・キリストのように見える一面もありました。イエスが救世主であるように、ジョルノもまた麻薬に手を出していたパッショーネを変え、イタリアの若者の未来を守り、死んでいくだけだったブチャラティの心を救っています。
その救世主・ジョルノについていくブチャラティたちは、キリストの弟子にすらも見える気も…キリスト教と関連の高い5部なので、イエスはジョルノのキャラ作りの参考にされていたんじゃないかな~という気がします。
「パッショーネ」の名前の意味とジョルノ
お次はパッショーネの名前とジョルノとの関係についてです。あのディアボロが「情熱」の意味を持つ名前なんてつけるかね…?と微妙な違和感を感じる組織名ですが、パッショーネ、「キリストの受難」の意味を持つ単語でもあります。荒木先生が重要視していたのは特にこの意味のはず。
で、ジョルノがイエスっぽいよね~という話でしたが、ほかにもDIO(=神の意味)の子供(イエスは神の子)だったり、62巻表紙では、ミケランジェロの「最後の審判」のイエスがモデルになっていたり…これが62巻表紙。
こっちがミケランジェロの「最後の審判」で、中央に鎮座するイエスとポーズが似ています。
やっぱりイエス・キリストっぽいジョルノですが、物語ではパッショーネへの入団で受難の道を歩むことになりました。で、キリスト教における受難は磔刑に処されることを指しますが、ジョルノと磔刑といえばこのシーンを思い出します。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社(102-103頁)
ポージングが十字架にかけられたイエスっぽいよね…
しかもナランチャの魂が入ったジョルノの体は、一度は死に至ったものの、その後はジョルノの魂が入って復活していました。このあたりは「キリストの復活」が意識されているのかもしれません。
そしてもし5部が「キリストの受難」の話であれば、6部でキャラクターの多くが死亡するのは「最後の審判」が連想できそうなところ。7部でもキリストであろう人物の話がキーになるし…やはりジョジョとキリスト教の関連は深い…
5部の美術の元ネタは、こちらにまとめました~!
フーゴが乗らなかったボートとノアの方舟
次にフーゴが乗らなかったボートについてです。「ノアの方舟のオマージュでは?」と散々言われてきたシーンですが、確かにボートとキリスト教で思い出すお話。
ノアの方舟のあらすじは以下のような内容です。世の中が争いや悪で溢れかえってしまったため、神様は大洪水で悪を流してしまおうと考えました。洪水を起こす前に、神様は正しき心を持つノアに「方舟を作って家族と雌雄一対の全ての動物たちを乗船させるように」と指示したため、船内で洪水の被害を免れた人類や生物は生き延びて、絶滅することはなかった…というお話。
これを5部のストーリーに近づけてみるのであれば、麻薬のはびこる世の中の悪を変えるために、正しき心を持つブチャラティが乗船を選択させるも、乗った者は全員が生き延びた訳ではなくブチャラティも死亡…という感じかな…なんかちょっと方舟の話と違う…
だからストーリー的にはちょっと無理がありそうなんですよね~とはいえ、ここで船というアイテムを登場させたのは、キリスト教を意識してのことなのかもしれません。
ブチャラティの実家の漁師という職業
次はブチャラティの父が漁師について見ていきます。注目したいのは、キリスト教のシンボルとして用いられていたイクトゥスです。これね。
Fibonacci - Drawn by Fibonacci, modifying Lupin's PD source code a bit., パブリック・ドメイン, リンクによる
魚だね~~~~!!!!そしてギリシャ語で「イエス・キリスト・神の・子・救世主」の頭文字を繋げると「魚」を意味するそうで、それがイクテュスの名前の由来になっているのだとか。またキリストの弟子・ペテロは元漁師なので、漁師という設定にも何か意味があるのかもしれません。
そして魚といえばブチャラティの父ちゃんの他に、ペッシがいます。ペッシはイタリア語で魚の意味だし、スタンドのビーチ・ボーイは釣り竿を使うし…この辺も魚の祝福、呪いやキリスト自身のシンボルであることや、そしてペトロの釣りの話など、キリスト教が元ネタの可能性も。由来を教えて、荒木先生…
ブチャラティと父ちゃんが漁師であることの関係は、こちらで考察しました~!
ナランチャの横に咲かせた百合
次はナランチャ死亡シーンで、ジョルノが咲かせた花についてです。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』62巻 集英社(122頁)
アニメ版などでは百合の花の色は白でした。聖母マリアを表すとされる白い百合は、純潔、無垢などの象徴であり、ナランチャのキャラクターともぴったり!
さらにキリスト教関連の美術作品において、百合にはこんな意味もあるそうです。
だが、この百合の花にはもともと、もっと広い意味が込められていた。初期キリスト教美術において、百合は薔薇とともに「天国の花」を意味し、生命や光の象徴でもあった。
美術的な意味でも、天国に向かうナランチャにドンピシャ。百合は現代でもキリスト教の葬式でもよく使われるので、花を手向ける意味はもちろん、ナランチャの性格やキリスト教美術的な意味合いとも関連が深そうです。
シルバー・チャリオッツ・レクイエムとゴールド・エクスペリエンス・レクイエム
お次はシルバー・チャリオッツとゴールド・エクスペリエンスに矢が刺さった後、スタンド名についた「レクイエム」についてです。レクイエムとはキリスト教カトリック教会において、死者のために行なうミサのことなので、キリスト教が意識されていることが伺えます。
そしてシルバー・チャリオッツ・レクイエムは、ポルナレフの肉体が死んだ上で発現していました。一方、ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムはいつまでも結果にたどり着けず、発動されたディアボロは死者になることができなくなります。
両スタンドがレクイエムの名を冠しているのは、どちらも「死」との関連が強いからなのかもしれません。あとはシルバーチャリオッツにレクイエムと名付けたポルナレフは、長年の相棒のようなスタンドへの弔いの意味もあったりして…
シルバー・チャリオッツ・レクイエムの考察は、まとめてこちらで…
ブチャラティ死亡シーンとキリスト昇天
次はブチャラティの死亡シーンについてです。
荒木飛呂彦(1999年)『ジョジョの奇妙な冒険』63巻 集英社(47頁)
ジョジョファンではキリスト昇天のオマージュとして有名ですね~!美術的にはこの構図に1番近そうなのが、サンティニャーツィオ教会の天井画。ブチャラティのポーズや輪のようなものを持つ天使がいるので、元ネタっぽいかな~
Par Andrea Pozzo — https://www.flickr.com/photos/antmoose/62278449/ Anthony Majanlahti, November 11, 2005, CC BY 2.0, Lien
で、キリスト昇天とは、磔刑にかけられたキリストが3日後に復活し、その40日後に昇天して神の右に座に着いた出来事のこと。ブチャラティも本来なら死亡しているはずが、ジョルノのスタンドによって動き続けてから昇天していった様子は、キリストっぽくもあるよう。ただ5部は40日どころか、1週間ちょっとの出来事なんですよね~!濃すぎる1週間だよな…
空条徐倫と聖母マリア
続いては6部の主人公・空条徐倫と聖母マリアについてです。さて徐倫に聖母マリアのようなイメージを持たせていることは、荒木先生が1巻で言及していました。
JOJO第6部の主人公は女性です。なぜ『女性』なのか?そこの所なのだ問題は。JOJOの主人公なのだから顔面にパンチをくらってもヘコたれないタフさが必要だ。時にはドブの中をはいずり回る可能性もあるし、大股開きでビルの上から落っこちるかもしれない。女性にはちょっとキツイ設定だ。でもそのギャップが逆に考えてみるとおもしろいかもと思った。しかも聖母マリア様のような大きな人間愛を持つ人。主人公は女性しかないと思った。荒木飛呂彦(2000年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン』1巻 集英社(巻頭コメント)
ぶん殴られても起き上がるしマリア様のような優しさも…ってかなり強烈なキャラクターですが、確かに徐倫ってタフさだけではなく、優しさの描写も要所にありましたよね~!特にエンポリオにはキスしたり、まるで姉や母のような優しさを見せていました。こんなところのモデルがきっと聖母マリアなんだろうな~!
徐倫の優しさはこちらでまとめています~
ちなみに聖母マリアはその昔、海の星の聖母と呼ばれていたそうな。海=ストーンオーシャン、星=星のアザ、聖母=徐倫のモデルと、関係が深すぎんか、これ…
サヴェジ・ガーデン作戦と白鳩
次にサヴェジ・ガーデン作戦の白鳩についてですが、原作ではこのように説明されていました。
荒木飛呂彦(2001年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』6巻 集英社(101頁)
伝書鳩とのことですが、アニメ版などによるとその本体の色は白。白い鳩といえば、キリスト教ではこんな象徴であるそうで…
聖書では、白鳩は、伝書鳩と同じく、言伝の使者として登場することが多い。ミシェル・フイエ (2006年)『キリスト教シンボル事典』白水社(95頁)
めちゃくちゃサヴェジ・ガーデンっぽいな~!伝書鳩であり、言伝の代わりに承太郎のDISCを届ける使命を背負っていましたが、その本質はかなり似ている気がします。きっとここが元ネタだろうな~!
プッチが流したヘンデル作の「メサイヤ」
続いてはプッチがグッチョに入れたDISCから流れた曲についてです。このシーン、けっこうホラーだよね…
荒木飛呂彦(2002年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』10巻 集英社(54頁)
流れていたのはヘンデルの「メサイヤ」ですが、メサイヤはキリストの一生を描いた作品で、プッチが聞いていたのは第2部の「メシアの受難と復活」の一部。歌詞はヨハネの黙示録19章の一部を引用し、神の国の到来の喜びについて歌っています。プッチは植物のカスを見つけ、「新しい世界が幕を開けた」と天国に近づけたことにウキウキしていましたが、それをメサイヤの神の国の到来の賛美に重ねて表現していた、ということだったんだろうな~!
そしてこの曲の中でも特に有名な「ハレルヤ」のコーラスですが、ハレルヤとは「神をたたえよ」の意味。神をたたえたい気持ちはさておき、それを死にゆく人間から響かせて喜んでるんだもんな…プッチってやっぱりちょっと怖いよね…
緑色の赤ちゃんとアダムとイヴ
次に緑色の赤ちゃんについてです。DIOの骨より生まれた子の赤ちゃんですが、元ネタと考えられそうなのがアダムとイヴの話。アダムの骨からイヴが生まれたとされていますが、その様子は創世記にこのように描かれています。
21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
ここでは「人」「男」がアダムのことで、イヴはアダムのあばら骨から生まれているとのこと。
そしてジョジョでは、緑の赤ちゃんがDIOの骨を基に誕生しており、イヴを想起させますが、この後のイヴは蛇の誘惑に負けて禁断の果実を食べてしまうんですよね~…蛇といえばプッチなんだよな~!そのプッチは赤ちゃんとの融合で接点を持っていましたが、イヴと蛇に関わりがあったという点でも近いものが感じられます。
イヴと緑の赤ちゃん、蛇とプッチという点で創世記のような設定を持つ両者。これはキリスト教が元ネタっぽいですよね~!
「14の言葉」とキリスト教
次に14の言葉についてです。天国に行くために必要なものでしたが、キリスト教との関連が伺えるワードがチラホラ…
例えば「ドロローサへの道」は、イエスが処刑場であるゴルゴダの丘まで、十字架を背負って歩いた道のこと。「イチジクのタルト」の「イチジク」は、アダムとイヴが禁断の果実を食べたのがイチジクの木の近く、とキリスト教を彷彿とさせます。
詳しくは下記記事にまとめましたが、どことなくキリスト教との関連が伺える言葉の数々。でもカブトムシって何だろうね…
ドミネ・クオ・ヴァディスとペテロのエピソード
次は「お前は磔刑だーっ!!」でお馴染みのプッチのセリフ「どこへ行かれるのですか?(ドミネ・クオ・ヴァディス)」についてです。さてこの言葉は、新約聖書のヨハネによる福音書の13章に登場します。
36 シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。
Wordproject「ヨハネによる福音書」
最後の晩餐でイエスが「この中に裏切り者がいる」と弟子の前で話した後のシーンで、弟子のペテロが発言した台詞が元ネタのようです。イエスの「あなたはわたしの行くところに~」からは、自身が磔刑に処されること、そしてペテロもいずれ死を迎えることが伺えます。
また外伝でも「ドミネ・クオ・ヴァディス」はもう一度登場していました。キリスト教が禁止されていたローマで布教活動をしていた弟子のペテロが、迫害によりローマから逃げた際、死んだはずのイエスに出会います。驚いたペテロが発した言葉が「ドミネ・クオ・ヴァディス」。この言葉にイエスは「民を見捨てて去るのなら、自分がローマに戻ってもう一度磔刑に処される」と返答します。その言葉に心動かされたペテロはローマに戻り、逆さ十字の形で磔刑に処されたというお話です。
で、プッチは「どこへ行かれるのですか?」の前に、アナスイに「安っぽい感情で動くな」と恫喝していた、民を思って布教をしながらも、大事な時には逃げ出そうとしたペテロに強い言葉を投げかけた、後者のイエスの時のような感情で発言したのかもしれません。いずれにせよプッチの「どこへ行かれるのですか?」「お前は磔刑だ」の台詞は、ペテロとイエスとの会話、そして磔刑に処されたことが元ネタとなっているようです。
それにしても死闘シーンでも神父らしくウィットに富んだ台詞回しをしてくるプッチ、お茶目だな…
ヘビー・ウェザーの虹の意味
次にヘビー・ウェザーの虹についてです。虹はキリスト教的にはこんな意味があるそうな。
半円形をして現れる美しい光の現象である虹は、天と地、神と人間を結ぶ通路であり道である。虹は、一度破棄されたのちに、再び結ばれた契約のしるしである(創九:十二~十七、エゼ一:二八、黙四:三)。
ミシェル・フイエ(2006年)『キリスト教シンボル事典』 白水社(127頁)
虹はあの世とこの世を結ぶ架け橋とのことですが、ウェザー・リポートに当てはめれば現世の自分と他界したぺルラを連想させます。そして虹のスタンドだったのは、愛する人と繋がっていたいという気持ちによるものなのかもしれません。切ない…
しかもキリスト教が元ネタであれば、「一度破棄されたのちに、再び結ばれた契約のしるし」の記述からは、ウェザー・リポートの「死んでもいいからもう一度ぺルラと会いたい」という気持ちが想像できるのではないでしょうか。ぺルラの死後に自分も身を投げていたくらいだしな…
だからキリスト教的な観点で見ていくと、ウェザー・リポートのあの性格から綺麗な虹のスタンドが発現していたのは、彼の哀しい気持ちの具現化だったのかもしれません。
ヘビー・ウェザーについては、こちらで詳しく触れています~!
エンポリオを逃したイルカのキリスト教的な意味
次にエンポリオを逃したイルカについてです。さてイルカにはこんな意味があるのだとか…
イルカは救世主にして魂の導者であり、冥界における魂の導き手、難船の救助者、<魚の王>、海神、であり、安全、迅速、の象徴。(中略)
(筆者注:キリスト教上の意味として)イルカは魂の救い主であり、また、死の海を越えて魂を運ぶ者としてのキリストの象徴。(中略)キリスト教美術では、イルカが救済と再生をもたらす船ないし方舟に代わって現われていることがある。
ジーン・C. クーパー(1992年)『世界シンボル辞典』三省堂(80頁)
めちゃくちゃストーンオーシャン終盤と被りますね~!
まず「魂の救い主」は、イルカがエンポリオの命を救ったシーンを連想させます。さらに「死の海を越えて魂を運ぶ者」は、徐倫たちが死亡した海を越えてエンポリオを運んだ描写に近いのではないでしょうか。
また「安全」という言葉が出てきましたが、徐倫はイルカについてこのように説明していました。
イルカって人を乗せるとき決して人を溺れさせたりはしないで泳ぐらしいわ…
荒木飛呂彦(2003年)『ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン』17巻 集英社(180頁)
ちゃんと安全に運んでくれるよ~という話をしており、こちらもイルカが象徴する「安全」と被ってきます。
だから終盤でエンポリオを運ぶためにイルカが登場したのは、キリスト教的な意味もあったのかもしれません。6部は本当にキリスト教だらけっぽいよな…
聖なる遺体とキリスト
お次は7部より、聖なる遺体についてです。これはキリストでしょ~~~~!!!と言いたくなるほど、共通点だらけでしたね~!「十字架にかけられ処刑される」「処刑後3日たって息をふき返した」などエピソードはもちろん、外見も似ていました。茨の冠を被った姿とかね…
荒木飛呂彦(2006年)『STEEL BALL RUN』9巻 集英社(80頁)
キリストが茨の冠を被るのは、磔刑にかけられたの時の姿であり、宗教絵画でもよく描かれています。
By Diego Velázquez - https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/cristo-crucificado/72cbb57e-f622-4531-9b25-27ff0a9559d7 (Museo del Prado), Public Domain, Link
ジャイロも考えていたとおり、やっぱりモデルはキリストで間違いなさそうです。
ジョニィとアリマタヤのヨセフ
遺体と関連して、次はアリマタヤのヨセフについてです。アリマタヤのヨセフとは、磔刑に処されたキリストの遺体を引き取った人物のこと。7部でも同じような描写がされていました。
荒木飛呂彦(2009年)『STEEL BALL RUN』17巻 集英社(122頁)
そして注目したいのは終盤のジョニィの行動です。ジョニィはジャイロの遺体を家族に引き渡すために、共に乗船していました。つまりジョニィも遺体の世話をしたという点では、アリマタヤのヨセフと似ているんですよね~!
7部で登場したアリマタヤのヨセフですが、実は主人公・ジョニィとの類似点も多そうなところ。こんなところも元ネタなのかもしれません。
ディエゴの生い立ちとモーセ
次にディエゴの生い立ちとモーセについてです。ディエゴは産まれた直後に川に流されて捨てられかけるも、再び母親の手に戻ってきていました。その様子は旧約聖書において、モーセが出生を隠すために川に流されるも、拾われて生き延びた話を彷彿とさせます。
ただしモーセが王家に拾われたのに対し、ディエゴは母親と共に農場主の下に行くことになりました。さらに母親が農場主との関係を拒否したことで、親子に対する扱いは悪化。母親の死亡もあり、ディエゴは幼少期から苦難の道へ…
だから出生のモデルはモーセのようですが、その後の人生には大きな違いがあるようです。ディエゴの生い立ちって結構エグイよな…
ジョジョリオンのタイトルと定助とイエスの関係
最後は8部のタイトル「ジョジョリオン」についてです。単行本では以下のように説明されていました。
「ジョジョリオン」という題名は、「…lion」というのが「祝福されるもの」「福音」とか「記念の印」とか意味があるそうで、昔のギリシアとかの古い言葉だそうです。「ジョジョ」との合成語で主人公「定助」が、この世に存在する事の意味としてタイトルにさせていただきました。
荒木飛呂彦(2012年)『ジョジョリオン』2巻 集英社(巻頭コメント)
注目したいのはlionの意味について。福音とは「良い知らせ」の意味を持ち、キリスト教ではイエス・キリストの誕生などのことを指します。そのキリストは様々な行いをしていますが、そのひとつが贖罪や人々の救済でした。
これを8部に当てはめてみるなら、「定助がこの世に生まれたこと」自体が福音で、定助は東方家の呪いを解いて救済する存在であるなどの意味になりそうです。
また定助サイドからも考えてみると…定助は自分が何者か分からないまま、東方家の呪いの話に巻き込まれていきました。これも仗助の運命や呪いと捉えられそうですが、その定助にとっての福音は、自分が何者かを知り、アイデンティティを見つけながら、自分の人生を歩み始めたことなのかもな~という気もします。
だからジョジョリオン(ジョジョ+福音)とは、東方家の呪いを解くために力となった定助の誕生、そして定助が2人が合体した人間ではなく、いち個人となっていくことを良き知らせとしていたのかもしれません。しかし難しいよな、ジョジョリオンは…
まとめ:ジョジョにはキリスト教に関するネタがいっぱい!
ジョジョのキリスト教関連のネタをまとめてみました。
名前の由来や職業、台詞など数多くのシーンでキリスト教との関連が見受けられますが、それが解読の楽しさを深めているような気がします。きっとまだ誰も見つけていないネタもあるはず…!
聖書の内容を中心に、聖母マリア、創造主など様々な要素が散りばめられているジョジョ。でも1番色々創造している主は荒木先生なんだよな。いつも面白い物語をありがとうございます、先生…!
参考文献
ジーン・C. クーパー(1992年)『世界シンボル辞典』三省堂
高階秀爾「"百合"はなぜ特別な花なのか? その秘められた意味」PHPオンラインhttps://shuchi.php.co.jp/article/5911(2023年10月26日確認)
松下大樹(2015)「健康の殿堂―19 世紀後半のアメリカにおける YMCA と「筋骨たくましいキリスト教」―」早稲田大学https://www.waseda.jp/tokorozawa/kg/doc/50_ronbun/2015/5014A034.pdf(2023年10月26日確認)
末日聖徒イエス・キリスト教会「新約聖書」https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/nt?lang=jpn(2023年10月26日確認)
マルコム・デイ(2006年)『図説キリスト教聖人文化事典』原書房
ミシェル・フイエ (2006年)『キリスト教シンボル事典』白水社
Wordproject「日本聖書」https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/2.ht(2023年10月26日確認)
ジョジョの記事はこちらもどうぞ~!